パウロはここで、牧会者、牧師として手紙を書いています。
1.神に感謝すること
手紙本文は、「私の神に感謝する」で始まります。最近、神学校での研究・教育のために『小さな教会における指導力を活性化する。教職者と信徒が共に働く』という英語の本を読んでいましたが、小さな教会の牧師は感謝することが重要であるであるというのです。信徒の人たちに祈られ、財政的に支えられ、礼拝に共に与り、奉仕することによって牧師は本当に信徒の方々に支えられているからです。「感謝すること」は、牧師だけではなく、クリスチャンにとって大切なことです。
2.思い起こす度に
パウロは、フィリピの信徒たちを「思い起こす度に」と語ります。具体的には、相手の人の名を挙げて「執成し祈る」ことを意味しています。牧師や教会の指導者たちの働きは、まず、信徒たちのために執成し祈ることです。パウロはフィリピの信徒たちの顔や行動を「思い起こし」「考え」そして、彼らのことを熱望しながら執成しの祈りをしています。私たちも教会の兄弟姉妹のことをこのように記憶して、祈りたいものです。
3.「喜びを持って」祈ること
パウロは、フィリピの信徒たちを「喜びをもって」祈ると言います。この「喜び」もクリスチャンの生き方を表現しています。「喜び」は「感謝」と「執成しの祈り」と並んで、クリスチャンの本来の姿です。
4.神が救いの業を完成して下さる
なぜ、パウロは喜ぶことができたのでしょうか。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」と言います。一人一人が福音にあずかっている、だからパウロは感謝し、喜んでいるのです。しかし、それだけではなく、6節には、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とあります。「自分で頑張れ」というのではありません。神様が、私たちを救おうと思って信仰を与え、教会へと導き、たとえ紆余曲折、苦難、困難があったとしても、必ず、神ご自身が責任を持ってそれを完成して下さるというのです。これが「確信」の根拠です。
5.見分ける力
最後に、「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられえるように」とあります。私たちの愛は深い知識に根差し、私たちの知識は、愛と結びついていなくてはなりません。知識と結びつかない愛は状況に「流され」、愛と結びつかない知識は冷たい律法主義、形式主義となってしまいます。私たちは日々の生活において、何が第一に重要なことで、何が第二、第三のことかを「見分けること」が重要です。第一のこととは、私たちが神から愛されていること、そして、神はその愛の業を必ず完成して下さることです。この「見抜く力」で、日々の生活を送りましょう。(松見俊)