1: 傍らに立つ方 聖霊
イエス様は平和と同時に弁護者としての聖霊を送ってくださると語っています。聖霊はもともとの言葉では「パラクレートス」という言葉で、その意味は「傍らに呼び出された者」という意味を持ちます。聖霊は私たちの傍らに立っており、私たちを慰めてくださっているのです。聖霊は私たちを平和へと導く神様なのです。
2: 世の平和と神様の与える平和
イエス様の与える平和とはこの世が与える平和とは少し違うものです。世の平和は見せかけでしかないのです。一つに、力による平和があります。力と圧力による平和です。弱い立場の人々を押さえつけることで、強者だけに居心地のいい状況を作りだすことです。もう一つは無関心が作りだしている平和です。隣にどれほど困っていている人がいても、その問題や痛みを見ようともしない。それが無関心の見せかけの平和なのです。
神様が与えてくださる平和は、神様ご自身が痛みを伴われ、そのうえで、私たちに与えられているのです。本当の平和とは、神様が命をかけて私たちに与えてくださるものなのです。
3: 苦しみの中にある希望への一歩
イエス様は、「ことが起こったときに」そして「世の支配者が来る」と語ります。この言葉はイエス様が、これから捕らえられ、十字架につけられ、死へと向かうということを意味しているでしょう。イエス様の十字架への道は、悲しみのときであり、喜びの始まりだと教えてくださっているのです。この世における苦しみ、死、絶望は、主イエス・キリストの十字架によって、希望の道へと変えられたのです。
4: 立て、出かけよう
私たちはここから立ち上がり出かけましょう。イエス様は私たちが希望を持って生きるようにと、励ましてくださっているのです。私たちは他者を愛するといって何をすればよいのでしょうか。「どうしたら神様に従い生きることができるだろうか」という問いをもったときに、すでにその神様の示された道を歩き始めている、「ここから出かけよう」という言葉に応答し始めて、立ち上がったのです。私たちの傍らにはいつも聖霊が共にいてくださるのです。この聖霊の導きを信じて、そしてその中で、主による平和の実現と、神の国の到来を待ち望んでいきましょう。(笠井元)