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2017.8.13 「生きるとは、キリストである」 (要約) フィリピの信徒への手紙1:19~26

 8月は、かつての戦争を思い起こし、その悲惨さを心に刻み、二度と同じ過ちを犯さないことを祈る季節です。今日の個所、フィリピ1:19~26には、生きることと死ぬこと、どこか平和と戦争に繋がる事柄が語られています。

 

1.キリストが公然とあがめられること

 最も私の心を引く言葉は、「どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」という言葉です。皆さんには、それぞれの人生の目的、生きる使命があることでしょう。何が皆さんの人生の目的であり、使命でしょうか?パウロの願いはパウロらしい、勇敢で気高い願いと希望であるようにも響きますが、私自身の願いでもあり、皆さん、お一人一人の願いと希望です。

 

2.生と死の相対化

 パウロは、「生きるにも死ぬにも」と言います。通常、人は、やがていのちが死に飲み込まれるときがくると考えて、死を恐れるのです。そして、死ぬことを忘れること、無視することで、やり過ごそうとします。しかし、そのようにしたところで、死の支配が生きていることの中にそっと忍び込んでくるのです。しかし、信仰者にとっては、大きないのちの一部として人は死を経験するのです。そして、死は、神と人、人と人、愛する人と人の別離の悲しみは、大きな神のいのちに包まれてしまうのです。

 

3.「そうようなもの」として生きること

 生も死も相対的なもの、過ぎ去る一時的なものであるから、どうでも良いというのではありません。、過ぎ去るものであるゆえに、一瞬一瞬を大切にして、キリストのため、教会のため、そして家族のために、自分のために、どう生きるかが問われているのです。

 

4.生きるとは、キリスト

 これと似た言葉がガラテヤ2:20に登場します。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」。キリストはただ単に使徒パウロが宣教する対象、内容ではなく、彼の真のいのちを可能にし、「生きている」というその人生を豊かに意味づける根拠でした。

 

5.フィリピの信徒たちの祈りがパウロの救いとなる

 パウロを支えていたものは、「フィリピの信徒たちの祈り」と「イエス・キリストの霊の助け」でした。私たちも福音宣教のため共に祈る者となりましょう。(松見俊)