1. 解放への出発
イスラエルの民はエジプトから出発します。解放への出発です。出エジプトの出来事が始まるのです。民はただ旅に出かけたのではないのです。この旅は奴隷生活からの解放の旅なのです。ラメセスからスコトに向けて出発しました。イスラエルの民が一晩ほど歩いて行くほどの話と考えられます。
39節において「ぐずぐずしていることはできなかった」「食料を用意するいとまもなかった」と、旅を急ぐイスラエルの民の姿を見ることができるのです。神様に従うことを、時間的に急がなければならない、さっさと決断しなければいけないということだけの意味ではないのです。神様に従うことはそれほどに緊張感のあることであり、神様の解放を妨げる誘惑は素早いのです。
2. 60万人での脱出
「妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった」(37)とされます。女性や子ども、老年者を加えれば、実際には、200万人以上の人がいたと考えられています。最初イスラエルの民がエジプトに来たときイスラエル人は70人(出エジプト1:5)でした。70人から始まったイスラエルの民が、増えに増え、エジプト人がその人数を脅威と感じるほど、それは総勢200万人ほどであったのです。
また、この人数は、ダビデとソロモン時代における人口にもつながる数字であるとも言われています。
3. 種々雑多な人々
エジプトからのイスラエルの民の解放の話のなかに突然「種々雑多な人々」の存在があらわれます。「種々雑多な人々」とは、イスラエルとは関係のない人々でしょう。「種々雑多な人々」がいたことは、神様の救いの御業を大幅に広げることとなります。同様に、「羊、牛など、家畜もおびただしい数であった」(38)ともされます。神様の救いは全被造物へと広がるのです。
4.寝ずの番
出エジプトのために神様は寝ずの番をされました。そしてイスラエルの民は代々、神様のために寝ずの番をするのです。「寝ずの番」とは「見張る」「守る」という意味を持ちます。神様がイスラエルを解放に救い出すために、どれだけ近くで、自分の時間を削ってでも守られ、救い出したのかを表すのです。この神様の救いを詩編121編で賛美します。
イスラエルの民は、主が眠らずに、守ってくださった神様を覚え、代々にわたって、主のために「寝ずの番」をするのです。神様のために特別に時間を献げるのです。わたしたちも神様の恵みに自らを献げる応答をしていきましょう。(笠井元)