1: 同害報復
当時の律法による規定では「目には目を、歯には歯を」と命じられていました。現代社会においては、自分たちの感情に任せ、「やられたら何倍にもしてやり返せ」、その思いも通り越して、「やられる前にやってしまえ」「やりそうな者は徹底的に力でねじ伏せてしまえ」と、考えられているのではないでしょうか。「目には目を、歯には歯を」という言葉は「倍返し」という、どんどんエスレートしていく人間の感情を抑えるための教えでした。
2: 敵を愛しなさい
そのうえでイエス様は、報復行為をしないように教えられるだけではなく、そのような敵である者を愛しなさいと言われたのです。イエス様は「隣人」にとどまらず、「敵」を愛しなさいと言われたのです。愛することに隣人や敵という区別は必要ない。だれであれ、どのような者であれ、愛しなさい。これがイエス様の求める愛なのです。
3: 積極的行為
愛することは積極的なもので、行為が伴うものなのです。敵を愛するということは、敵のために祈ることです。私たちは敵を積極的に愛することができるでしょうか。神様は私たちを積極的に愛されたのです。神様はその独り子イエス・キリストをこの世に送られた。そして主イエス・キリストは、私たちのために命をかけて祈られたのです。
4: 無条件の愛
神様の愛は、人間の善悪に条件づけられない愛なのです。
当時の律法主義では、人間のそれぞれの行いに対して、神様の愛は応答されるものだと考えていました。いわゆる因果応報という考え、原因がありそれに対する結果があるという考えです。しかし、神様の愛は、そのような人間の行為によって条件づけられるほど小さなものではないのです。神様は私たちを無条件に愛しておられるのです。
5: 完全な者となる
神様の積極的な愛の目的は「天の父の子、完全な者となりなさい。」ということです。私たち人間が「完全な者」になることができるのでしょうか。神様は、人間を自らの形に似せて創造されました。神様は私たちが愛に生きるように願っておられるのです。間違いを犯しながらも、悔い改め、生きていくこと。共に生きること。敵のために祈りあうこと。神様の愛という光の道を求めて、生き続けていくことを願っておられるのです。私たちは、神様の愛を受けその招きに応えて生きていきたいと思います。(笠井元)