1: 喜び
詩編16編の詩は、幸せ、信頼、そして喜びを告白する賛美の詩です。「いつも喜んでいなさい」。それはもともとの言葉では「喜び続けていなさい」という意味となります。聖書は喜びの基として「神の愛」を示しています。神様はあなたを愛してくださっている。だからこそ、「あなたは、どのような時にあっても、喜び続けることができることを忘れないように」と教えているのです。
2: 生きている意味が失われた社会
皆さんは喜んで生きているでしょうか。毎日の生活は喜びのうちに満たされているでしょうか。
現代社会は、あらゆる物が溢れていて、物質的にはとても豊かな時代となっています。しかし「生きる喜びを失わせていく社会」であると言われています。多くの物が溢れる中で、一番大事なこと、「生きる意味」を失ってしまっているのです。社会の中では、わたしたち人間もいつでも替えることができる存在となっているのです。わたしたちは、このような社会の中で、「自分」が「生きる意味」を見失ってしまっていないでしょうか。
3: かけがえのない存在
神様は聖書の言葉を通して、あなたはかけがえのない存在であり、誰も替わることができない、唯一、大切な存在なのだと教えてくれているのです。皆さんにとって、自分はどのような存在でしょうか。また子どもたちはどのような存在でしょうか。 神様にとっての私たちの存在はかけがえのない存在なのです。それは何ができるからとか、何かを持っているからとか、そのようなことはすべて関係なく、その心も体も魂も、すべてをそのままの姿で愛してくださっているのです。
4: 神は共におられる
今日の箇所8節では、「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいま」すと言うのです。主なる神様は、私たちの、右におられ、相対しておられるのです。神様は、私たちの目の前に存在され、私たち一人ひとりと向かい合っていてくださっているのです。神様は「あなたと共にいる」「あなたを孤独にはさせない」「あなたを愛している」と言うのです。これが、私たちに与えられた神様の愛のメッセージ、私たちへの祝福の言葉なのです。
5: 命の道
この詩編を歌った人は、10節に「陰府」「墓穴」という言葉があることから、この詩をうたっているこのとき、死を見ていたと読み取ることができるのです。詩人は「死」を見ながらも、「喜び」「命の道」を歩き出したのです。「死」は、私たち人間の心に痛みや悲しみ、恐怖や虚しさを与えます。しかし、聖書は、神様は死を打ち破られる方であることを教えます。神様は死を超えて、私たちを愛し、共にてくださるのです。神様は私たちのことをかけがえのない存在として愛してくださっています。私たちはこの神様の愛による道を喜びましょう。(笠井元)