1. 嘆きと救いと賛美
今日の箇所は、神様の救いに対するイスラエルの賛美の箇所です。出エジプト記を1章から15章まで見ていくとき、1-2「抑圧と苦悩の叫び」、3:1-7:7「言葉による神様の応答」、7:8-14:31「神様の行為」、15「賛美」となります。「苦しみの嘆きと救いの行為」という構造です。
神様は私たちの現実に関わってくださるのです。私たちには、今、私たちが悩んでいること、苦しんでいることを、神様に祈り、叫ぶことが許されています。神様は、確かに応えてくださる。だからこそ、私たちは神様を賛美する者と変えられる。神様への賛美は、心の底から与えられた言葉です。賛美は神様の救いをほめたたえ、証しする言葉となるのです。
2. 神の業の普遍性
この賛美の中心は、神様がエジプトにおいて奴隷とされていたイスラエルの民を救い出してくださったことが中心的内容となっています。同時に、この賛美はエジプトでの救いの行為を越えて、普遍的な神様の行為をも歌っているのです。(6-7)
14節からは「諸国の民は『これを聞いて』震え上がる」と記されています。「これ」とは神様が敵を打ち砕くために働かれたということです。神様にとっての敵とはエジプトに象徴された、この世の混沌、罪、誘惑です。私たちは、どのような立場でこの賛美を聞くことができるでしょうか。嘆きの内にある者、それとも人を支配しているエジプトでしょうか。人間は自分を自分のものとして支配しようとします。それは罪の始まりです。神様は、私たちを守り、救いだし、同時に裁かれるのです。
3. 混沌からの新しい創造の業
16節の「買い取られる」という言葉は「創造する」という意味を持つ言葉です。神様は苦しみ、嘆きからの新しい創造をなされたのです。エジプトにおける奴隷としての生活。それは人間がこの世において罪に縛り付けられている状態を象徴的に表します。この世の価値観に誘惑に惑わされ、罪の中に生きている姿です。神様は新しい創造として、イスラエルをエジプトから救いだしたのです。罪からの解放は新しい命の創造です。
4. 神はいくさびと 創造の神
3-5 創造主なる神様は「いくさびと」とも記されています。この「いくさびと」という言葉は気を付けて聞く必要があるでしょう。ここからは「正しい戦争」や「聖戦」といった考えも生み出すのです。神様は破壊する神ではないのです。神様は破壊ではなく、新しい創造をされるのです。自分の心を問いただす時、エジプトとしての心、罪を持っていることを教えられるのではないでしょうか。この罪の心を神様は打ち砕いてくださるのです。罪の心をいくさびとである神様に打ち砕いていただきましょう。そしてそこから新しい創造の業に与りたいと思うのです。(笠井元)