1: 主は共におられる?
今日の箇所は、天使ガブリエルによるマリアへの「受胎告知」の場面です。マリアの聖さ、また正しさ、純粋さなどを語る箇所として読み取ることが多い、この箇所ですが、今日は、少し違う読み方をしていきたいと思います。
天使ガブリエルはマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(28)と告げたのでした。マリアはガブリエルの言葉に「戸惑い」ました。本来「主があなたと共におられる」という言葉は、神様が人間に与える福音の言葉のはずなのです。しかし、「主が共におられる」という恵みの言葉にマリアは心を乱したのです。
2: 戸惑い
なぜマリアはこの言葉に心を乱され、戸惑ったのでしょうか。「戸惑い」の一つの理由として考えられるのは、マリアにとって「主が共におられる」という言葉が、とても不自然な言葉であったのではないかということです。マリアは自分の生きる現実と、この「主があなたと共におられる。」という言葉のギャップに戸惑いったと考えられるのです。
確かに、神様がいつも共にいてくださると感じているならば、それはとても素敵なことです。しかし、私たち人間はいつも変わらず心が満たされているわけではないのです。私たちには、「主があなたと共におられる」という言葉を受け入れられない時もあるのです。
3: 戸惑いからの解放
マリアは戸惑いました。そのような戸惑うマリアに対して、ガブリエルはイエス様が産まれることの告知するのです。
マリアは心の中で、神様を見失ってしまっていた。そしてそのようなマリアに、現実としてイエス・キリストという救い主がこられ、マリアの心を動かされたのです。マリアの心の痛み、虚しさ、自分でもどうしてよいかわからないような、心の奥深くまで、神様は来てくださったのです。イエス・キリストが来られること、誕生の告知を通して、「主があなたと共におられる。」ということが表されたのです。
4: 聖霊に導かれて
イエス・キリストが、この世に来られるということは、まさに「主があなたと共におられる。」ということを実現された出来事です。
35節に「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と言われたように、神様は共に生きて、聖霊として私たちを包み、その道を導いてくださるのです。神様は、私たちがどのような状態にあっても、決して見捨てず、私たちと共にいてくださることを示されたのです。私たちは、イエス・キリストが共にいてくださること、聖霊が導いてくださることを素直に受け取り、主を告白する者、主を証しする者とされていきましょう(笠井元)