年の暮れになると「忘年会」が行われます。しかし、今年起こったことを忘れるのではなく、記憶する「覚年会」としたらどうでしょうか。この一年を感謝を持って振り返りるために選んだ聖書箇所はイザヤ55:6~11です。
1.困難の中での希望
イスラエルは、紀元前6世紀、バビロニア帝国によって滅ぼされ、神殿も破壊され、国の主だった人たちは帝国の首都バビロニアに連行され、捕虜生活を強いられました。しかし、やがてペルシャ帝国が起こり、バビロニア帝国を滅ぼすと、ペルシャは寛容な宗教政策を取りましたので、50年後、捕囚とされたイスラエルの人々は故国に帰ることが許されます。イスラエルの人々はこのような歴史の変化の中に主なる神の導きを見たのでした。第二イザヤは40章から始まりますが、8節には、「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という言葉が語られています。「草は枯れ、花はしぼむ」。厳しい現実です。瑞々しく、勢いのある草も枯れ、美しく咲き乱れる花も枯れてしまいます。しかし、「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」のです。希望は困難の中から芽生えてくるのではないでしょうか。
2.来るがよい、求め、そして、得よ
イザヤ55章は、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、値を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」と呼び掛けています。「来るがよい。求めよ、そして、得よ」と言います。わたしたちには、「どこに行くのか、何を求めるか」が問われています。私たちは、主なる神の処に行き、主なる神を求めねばなりません。
3.主を呼び求めよ
そういうわけですから、6節には、「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」そして、「主に立ち帰れ」と命じられています。主イエス・キリストにおいて、主なる神は近くにおられ、見出されうるお方です。
4.主なる神の「言葉」は成し遂げる
主なる神は私たちの近くにおられると言っても神と人との間には、距離があり、違いがあるのです。この距離と違いがあるからこそ、神は私たちを救うことができるのです。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道とは異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを高く超えている。」(8~9節)この神と人との近さ、そして、神と人との違い・距離は、「み言葉」によって繋がます。「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。」(10節)神の口から出る神の言葉は、むなしくは、神のもとには戻らず、神の望むことを成し遂げ、神の与えた使命を必ず果たすのです。これがこの一年を覚える私たちを支える言葉です。(松見 俊)