「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように務めなさい」と言われています。しかし、17,18節では、「わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」(17b-18)と勧められています。説教題に困りました。「おそれとおののき」にしようか、「喜べ」にしようか、えい、一緒にして、「恐れおののきつつ、喜べ」にしちゃえという訳です。年末には、ベートーベンの第九の合唱付きが歌われます。「喜び」の歌です。あの喜びの歌は何か戦慄を覚える「凛」(リン)としたものを感じさせます。それは、喜びが苦難、悲惨、困難の中で歌われるからではないでしょうか。おそれとおののきの中でこそ喜びが沸き上がってくるのです。
1.だから、わたしの愛する人たち
パウロは、「わたしの愛する人たち」と呼び掛けています。圧倒的に多いのが、「兄弟たち」という呼びかけですが、ここでは、親愛の情を籠めた呼びかけがされています。
2.達成せよ
12節の戒めの中心になる動詞は「達成せよ」です。救いはもはや動かしがたい出来事として起こっています。フィリピ2:6~11で引用された、イエス・キリストの遜りの賛美歌の通りです。そのすでに起こっていることが自分たち中で、具体的に結果となって現れるようにせよ。「自分自身の救い」となるようにせよということです。
3.従順
「従順」は私たちにとって苦手です。「人の言うことを聞くより、自分のやり方でやる」そんな風に思います。しかし、配偶者など他者には、「従順」であって欲しい。勝手です。人の言うことに聴くことは大切なことです。「従順」ということを考えるときに、誰に「従順」であるのかが問題となります。キリストに対して何よりも従順であることが必要です。
4.恐れおののきつつ
「おそれおののく」という言葉は現在では、ほとんど死語に近いと思います。何にも動じない人間像が主流です。いや、現代社会は何か破滅の予感というか、危うい力の均衡の上に何とか立っているという点で誰もが恐れおののきつつ生きていると言って良いでしょう。そのような時代の中では、「神を神とする」ときにこそ諸々の恐れおののきから解放されるのです。神を神とする時に他のものから自由になり、救いがすでに備えられているからこそ、自分を大切にして生きることができるのです。(松見 俊)