私たちは、「レント」(「四旬節」)のシーズンを過ごしています。今年は2月14日の「灰の水曜日」から始まり、イースターは4月1日です。レントとは、「長いこと」を意味するようです。今年は寒かったせいか、2月の中旬位から、確かに日が長くなり、午後6時になってもまだ明るく、春が来るのだ、ということを実感しました。そのような祈りの中で、選んだ聖書の個所が今日の個所です。
1.イエス・キリストの輝き
この箇所の直前の6節に、「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました」と言われています。4節には、「神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光」という表現が登場します。「光」、「輝き」、「栄光」という明るいイメージの比喩が重ねられています。そして、7節では「宝」という言葉も語られています。この言葉は、元々は「あるものを安全に保管する場所」という意味で、そこから、大切に保管している「宝」という意味になったようです。こうして輝きのイメージが連なります。
2.土の器の中に
パウロは、そのような宝を、私たちは、土の器の中に持っていると言います。すべての人は土の塵から造られたアダムに過ぎず、やがて土に戻る運命の中にあるのです。この世で、恵まれた才能があり、成功し、地位と財産を築いた人も、壊れやすい土の器に過ぎません。この世で、それほど才能もなく、失敗続きであり、地位も名誉も獲得できない人も、神から命の息を吹き込まれて生かされているのです。
3.神の恵みが恵みとして現れるために
しかし、いったい、なぜ、このような緊張、矛盾のようなものの中に私たちは生きるのでしょうか?わたしたちの人生は、多かれ少なかれ、過酷なものを背負わされているのでないでしょうか? その答えは、「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから(出た)ものでない(ことが明らかになる)ため」です。バウロは別の個所で、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という主の言葉を聞いたと言います(IIコリント12:9)。
4.パウロとキリスト者の苦難、そして復活の希望
10節ではキリスト者の苦難が、12節ではパウロ自身の苦難が語られ、12節でもパウロの生き方が強調されています。しかし、パウロが言いたいことは、14節にある「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせて下さると、わたしたちは知っています」の言葉です。そして、私たちは単に、いのちと死のせめぎ合い、光と闇のせめぎ合いの中で生きているだけではなく、いのちと光、イエス・キリストの輝きが圧倒的に勝利する復活の希望に生きているのです。(松見 俊)