1: 悔い改め
今日は、イースター礼拝です。イースターはイエス様の復活をお祝いする時です。イエス・キリストは十字架の上で死に、その三日後によみがえられました。そしてその復活の主イエス・キリストが、今日の箇所19節終わりにおいて、ペトロに「わたしに従いなさい」と言われました。復活のイエス・キリストは、今、私たち一人一人に「わたしに従いなさい」と語りかけておられるのです。私たちは、今、この復活のイエス・キリストに従って、新しい命をいただいて歩き出したいと思います。今日は、イエス様の「わたしに従いなさい」という御言葉を受け取りつつ、今日の箇所全体を見ていきたいと思います。この時、ペトロに語りかけたのは、復活の主イエス・キリストです。イエス様は、十字架の上でののしられ、苦しみ、死なれました。そして、墓に葬られ、その三日後に復活されました。そして、その後に弟子たちに出会われたのです。今日のこの箇所は、弟子の中でも、特に、ペトロを選び出して、ペトロに向かって語りかけている場面です。
イエス様は、ペトロに語りかけました。それは、ペトロが弟子たちの中で、一番の信仰を持っていたからでも、一番頭がよかったからでも、一番力が強かったからでもありません。むしろ、その逆で、イエスが十字架に捕えられていく中、逃げ出した、信仰の弱い者であるペトロ、このペトロの罪の悔い改めのために、そして、新しく歩きだすためにイエス様は語りかけられたのです。ペトロは、イエス様が十字架に向かうときに、3度イエス様のことを「知らない」と言いました。ペトロはイエス様に「わたしはどこまでも、イエス様に従います」と宣言しておきながらも、イエス様が一番苦しい十字架に向かうその時に、イエス様との関係を否定し、「自分には関係ない」「自分はイエスなど知らない」と、イエス様との関係を打ち消したのです。この時、ペトロはイエス・キリストとの関係を断ち切ったのです。人間にとって一番の間違えは、神様との関係を断ち切ること、神様から離れる道、後ろ向きの道を歩き始めた出来事でした。
ペトロは、自分では、「牢屋にでも、死んでも、イエス様にはついていく」と、強い信仰をもって、覚悟していたはずなのに・・・。実際にイエス様の十字架を前にして、群衆という、数多き人々の圧力の前に、心は折れて、信仰は砕け散ってしまったのでした。神様は、このペトロの姿を通して、私たちに「これが人間だ」と、「弱く」、「大きな過ちを犯す者」、「道を踏み外し」「逃げ出してしまう者」だ、これが私たち人間だと教えられたのです。「社会の敵意」、「多くの人々の圧力に」簡単には勝つことができない。まさにイエス様のもとから逃げ出したペトロの姿にみることができる、このような弱さをもつものこそが「人間」なのだと教えているのです。
イエス様は、三度「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と尋ねるのです。ここには三度の悔い改めと、三度の信仰告白、そして、その根底にある、赦しを与えるイエス・キリストの愛を見ることができるのです。神様は、人間が間違った道を歩き出しても、そのためにその者を愛することをやめる方ではないのです。むしろ、神様はそのような者が、もう一度立ち上がるために、もう一度新しい道を歩き出すことができるために、大きな愛を注いでくださっているのです。イエス・キリストは十字架の上において死なれました。しかし、イエス・キリストはそこで終わらなかったのです。三日後によみがえられたのです。それは、私たち人間が間違った道を歩きだした時に、もう一度命の道を差し伸べてくださるためにです。苦しみのうちに生きている者、悲しみのうちにある者に、もう一度新しい命の恵みを与えてくださるのです。十字架のイエス・キリスト救い主は、死を越えて、新しい命の創造者として復活の主イエス・キリストとなられたのです。そして人間に新しく生きる力と勇気を与えて下さるのです。
2: わたしを愛しているか
イエス様はペトロに、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」と尋ねます。イエス様は、「わたしを信じるか」「信仰をもって従うか」と尋ねたのではないのです。「わたしを愛しているか」と問いかけられたのです。このイエス様のペトロへの問いかけの言葉には、その前にイエス様の思いとして「わたしはあなたを愛している」という思いがあるのです。イエス様のペトロへの問いのすべてを表して言いますと「神の子、復活の主である、わたしがあなたを愛しています。だから聞きます、ヨハネの子シモン、わたしを愛していますか。」と、このようになるのです。ペトロへの問いかけは、主イエスが、愛していることが前提での問いかけです。だれでもそうだと思いますが・・・「わたしを好きですか」「わたしを愛していますか」と聞くときに、聞く人は「わたしは、あなたを愛しています」と、聞いた人のことが大好きで、とっても愛しているのです。主イエス・キリストは、ペトロに3度も聞きましたように、3度も宣言したのです。「ヨハネの子シモン、わたしはあなたを愛している」。イエス様はペトロを愛していると三度も宣言したのです。
そして同じように、イエス様は、私たち一人ひとりを愛してくださっています。私たち一人一人を、イエス様は愛し尽くしてくださっているのです。そしてその中でイエス様は「わたしは、あなたを愛しています。だから聞きます、あなたはわたしを愛していますか」と問われているのです。今、私たちはイエス様に、「わたしはあなたを愛している。」「あなたはわたしを愛していますか」。と問われているのです。
3: わたしの羊を飼いなさい
イエス様は「わたしを愛していますか」と問われました。ペトロはこの問いに、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(15)「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えました。この答えは、主イエス・キリストに委ねる形の答えなのです。これがペトロの変化です。ペトロは自分の「弱さ」に出会い、それでも愛してくださっている復活のイエス・キリストに出会ったのです。そして、復活の主イエス・キリストに出会って、新しく生きる命と信仰を与えられて、変えられたのです。ペトロは新しい命、新しく生きる道を与えられたのです。
ペトロのイエス様への答えは、このような意味を込めた言葉であったのだと思います。「自分は強い信仰、大きな力を求めて生きてきました。でも・・・それではあなたについていくことができませんでした。心の奥底に潜む弱さに打ち勝つことはできませんでした。主よ、その心をあなたがご存知です。あなたはそのわたしの弱さを知りながらも、その弱さを受け止めてくださいました。あなたの愛を受け取ります。ただ、あなたに愛されているという愛をお返しします。わたしの小さな信仰、小さな愛を、あなたの大きな愛で包んでください。今、わたしはあなたに愛されていることを信じて生きていきます。私が生きるのは、自分の力による、自分のためにではなく、あなたの与えて下さっている偉大な愛のために生きていきます。わたしはあなたを信頼して、あなたのために生きていきます。」これがペトロの信仰です。このペトロの信仰は、復活のイエス・キリストに出会ったときに、与えられた、絶望から解放された希望なのです。ペトロは変えられたのです。罪と弱さに打ちのめされていたペトロが、もう一度生きる勇気と希望を与えられたのです。
イエス様は続けて言われます。「わたしの羊を飼いなさい。」(17)。 主イエスは、愛を注がれています。イエス様は、その満ち溢れる愛によって福音を喜んで生きるように、「羊を飼う」ように、示されたのです。この時のイエス様の言葉は、心を打ち砕かれて、新しく生きる道を与えられた者、つまり十字架のイエス・キリストに出会い、復活のイエス・キリストによって新しい命を与えられた者、すべての者に語られているのです。
今、この礼拝に集められた一人一人、私たちにです。私たちは今、イエス・キリストの復活に、その愛を知ったのです。今、イエス様に「羊を飼うように」と御言葉をいただくのです。イエス・キリストの言われる「わたしの羊」いわゆる「キリストの羊」。その範囲はどこまでも、果てしなく広がります。神様に愛されていない人間はいません。それはまた、罪を悔い改めなくてよい人間はいないということでもあります。罪に悩んだままで、悲しみと痛みの中で生きている者を、神様は見捨てることはないといのです。
私たちは、キリストの愛を伝えていきたいと思うのです。私たちはすべての人間が愛されていると、救われていると伝えたいと思います。「すべての人間がキリストの羊」なのだと、伝える必要があるのです。復活の主、イエス・キリストは、今、私たちに「わたしの羊を飼いなさい」と言われているのです。
4: わたしに従いなさい
最後にイエス・キリストは言いました。「わたしに従いなさい」(19)イエス様は、ペトロの愛してくださいました。大きな失敗や間違いを犯したペトロです。イエス・キリストを否定して、裏切り、挫折した人間です。もはや自分の力では立ち直ることができない状態でした。
イエス様は、このペトロに言葉をかけるときに過去の失敗、過去の過ちや罪だけを見て、言葉をかけられたのではありませんでした。イエス様は、未来を見ていました。イエス様はこれからの出来事、将来のことを見ていたのです。神様人間の新しい存在を見ながら・・・。その存在を愛の眼差しの中で、造り変えられながら、言葉をかけられたのです。
イエス様はペトロに言います。「わたしに従いなさい」。復活されたイエス・キリストは新しい命の主です。新しい人生を与えてくださる方です。ペトロが立ち上がり、勇気をもって、新しく進み出したのは、イエス・キリストのこの言葉に従ったからです。
今、イエス・キリストは、私たちに語りかけられます。「わたしに従いなさい」。イエス・キリストは私たちの先を歩まれながら、また後ろから私たちを押しながら「わたしに従いなさい」と、言葉をかけ続けていてくださるのです。それは、私たちの再出発のための言葉です。今、私たちは、復活のキリストに出会っていきたいと思います。そしてキリストの言葉「わたしに従いなさい」という言葉に応えて歩み出しましょう。
イエス様は言われました。
「わたしはあなたを愛している」
「あなたは、わたしを愛しているか」
「わたしの羊を飼いなさい」「わたしに従いなさい」
私たちは、今、新しく立ち上がり、勇気をもって、キリストに従って、歩み出したいと思います。(笠井元)