1: 立派な行い
今日の箇所では「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」に続けて「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」と教えています。この世の価値観における「立派な行い」は「人に尊敬されるように生きる」ことです。「立派な行い」は「自分のため」なのです。しかし、聖書は「自分のため」ではなく「神様のために」という価値観を持つことを教えているのです。
2: イエスを主と告白する
わたしたちは「何のために生きているのか」、「どこに向かって生きていくのか」。その答えに聖書は「神様のため」だと教えているのです。
そして、神様のために最後まで生きた方、従い続けることができた方がイエス・キリストです。イエス様は罪人と共に生き、病人と共に苦しみを分かち合いました。それはすべてが神様の愛を表すためでした。聖書が教えている「立派な行い」とは、ただイエス・キリストの信仰に与ること、神様の愛を受け取って生きることによるのです。
3: 与えられた賜物
ローマ書では「イエスは主であると口で言い表し、心でイエスの復活を信じるならば救いが与えられる」と教えています。私たちにはさまざまな能力、神様が与えてくださっている素敵な力があるのです。
「自分は欠点がいっぱいある」と思っていたとしても、「だからこそ、わたしは主イエス・キリストに愛されて、赦されて生きているのだ」と変えられる時に、その弱さや欠点もまた、信仰としての長所になるのです。良いことも悪いことも、長所も短所も、すべては「イエスは主である」という告白のためにあるのです。
4: 証する共同体
私たちは、この信仰を、一人ではなく、教会という信仰共同体として告白していきたいと思うのです。教会は、信仰を基とする共同体です。「イエスは主である」と信じて告白する者の集まりです。私たちは聖霊の働きよって、信仰に導かれ共に生きる者とされているのです。私たちが「ただ神様のため」「イエスは主である」と告白する者へと導かれる時、本当の意味で、お互いに愛しあい、仕えあう関係につなげられるのです。これから新しい一年「証する共同体」として共に「イエスを主」と告白するものとされていきましょう。(笠井元)