1: 富を積むこと
聖書は「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。」と教えています。富を積むこと。つまり財産を計画的に備えるものとし、計画的に使うことは大切なことでしょう。聖書は「富を積むこと」がいけないと言っているのではないのです。「富を積むこと」は、神様から預けられた財産の管理をすることなのです。
2: 自分の価値としての富
ではなにがいけないのでしょうか。聖書は「富みを積んではならない」のではなく、「地上に富を積んではならない。そこでは虫が食い、さび付き、盗人によって盗み出される」と教えているのです。人間の顕著な特徴の一つとして、なにかしら物を収集しようとする傾向があるといわれています。それは自分と他者とを比較して、自分の方が偉く、優れているということを表すためなのです。富をもつことで、自分が偉いと思うこと、その富が自分自身の価値となっていくこと、それが「地上」に富を積むことなのです。
3: 何に仕えるのか
「富」も大切な神様からの恵みなのです。「神」と「富」どちらかを大切にするかではなく、どちらに仕えるか選ぶ必要があるということです。人間は必ず何かを主人として生きているのです。どのように生きるのか、どのような判断をするのか、どのような価値観を持つのか、その一つひとつにわたしたちは「主人」を置き、従い、仕えて判断をしているのです。聖書は「何に仕えるのか」という答えとして、神様に仕えて生きることを教えているのです。
4: 神様に仕えること
神様に仕えること。それは礼拝し、聖書を読み、祈ること、神様との関係を考えることから始まります。そしてその中心に「神様を愛し」「隣人を愛する」という言葉があります。「澄んだ目」とは「単一」「単純」という意味があります。澄んだ目で見るということは、一つのものを見ること、一つの価値観で生きることを教えます。そしてそれは神様に仕えて生きるということを選び取ることを教えているのです。私たちは、神様に仕える者としての人生を選び取り、神様から喜びをいただいていきたいと思います。 (笠井元)