1 盗んではならない。
ここでの「盗み」という言葉は、どのような盗みも禁じていると考える意見と、一部では「人を盗むこと」つまり「誘拐」だけを禁じているとも言われています。ただ当時のイスラエルの人々にとっては、財産もその人自身の一部と理解していたので、財産を盗むことは、その人自身を傷つけることでもあったのです。
「盗むこと」はなぜいけないのでしょうか。最終的な答えは、「神様がその人に与えているものだから、それを奪うことは神様の恵みを傷つけることであり、同時に、あなたが神様からいただいている恵みを拒否することになる」となるのです。(創世記2:15-16)(申命記8:17-18)
また「盗んではならない」という戒めは、現在の格差社会の構造に問題提起しているとも言えるでしょう。わたしたちは富を誰の犠牲の上に手に入れているのかを考えなければならないでしょう。「盗んではいけない」。この言葉は、私たちが神様から与えられた恵み、財産をどのように管理するのかが問われているのでもあるのです。
2 偽証 隣人に対するうそ
第九戒「偽証してはならない」。この戒めは本来、法廷での偽証を意味しています。ただこの言葉の意味はもっと拡げられていき、他人を傷つけるような「うそ」、「中傷」、「根拠のないゴシップ」などを含むようになっていったのです。
ここでは「隣人に関して」(16)と教えています。私たちが隣人に対して、日々どのような言葉を語っているかが問われているのです。「偽証しない」ことは、嘘をつかないということだけではなく、もっと積極的に隣人を愛し、隣人と良い関係を作り上げるために真実を語るということになるのです。
3 むさぼってはならない
口語訳では「むさぼってはならない」と訳されています。これまで学んできた第六戒、第七戒、第八戒、第九戒、これらすべての根底に「むさぼってはならない」という言葉がある。
「貪り」に終わりはありません。人間の心はどこまでも、欲望を燃やしていくのです。「貪り」を突き詰めていくと、神をむさぼること、つまり自分自身が神様になることを求めるのです。自分は自分のものである、自分の持ち物はすべて自分のものであるという思いにつながるのです。
「むさぼってはならない」。この戒めは何か規制しようとしているのではなく、エジプトから救いだされたイスラエルに、すべては神様の救いによるものであることを、忘れず覚えて生きていきなさいという、神様からのメッセージです。