1: アメイジング・ジャーニーから
第一回の青年会では映画鑑賞を行いました。「アメイジング・ジャーニー」という映画を見ました。私はこの映画から「裁くことができるのは神様しかいないこと」、「人間は誰もが同じように罪人であること」、「罪人である人間を、裁き主である神様が愛してくださっていること」を教えらました。
2: ものさしの違い
今日の「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」(1)という言葉は「人のふり見て、わがふり直せ」という言葉があるように、この世の教訓としても教えられているのです。問題は、自分を見るものさしと他人を見るものさしが違うということです。大人は子どもに「友達、兄弟とは仲良く、必要なものは分け合い、お互いに助け合いなさい」と教えます。しかし、現在社会では、政治家という「権力を持つ者」、学校の教師という「人にものを教える者」を先頭に、子どもで言えば「すべてのおもちゃを自分のものとしようとしている」のです。
3: 正しいものさし 愛
人を正しく裁くことができる方。すべての者に対して同じものさしをもって裁くことができる方。それはただ完全な愛の方、イエス・キリスト一人です。イエス・キリストはすべての人間に対して同じものさしをもっておられるのです。そのものさしは「愛」というものさしです。
イエス様は「敵を愛しなさい」と言われました。これがイエス様の持っている「ものさし」「裁きの基準」です。キリストは、私たちすべての人間を差別することなく愛された。それは正しい者も、正しくない者も、悪人も、善人も関係ないのです。
4: 愛の裁きを受け入れない者
当時のマタイの教会では偽預言者といわれる「キリストの愛」を知りながらも、福音を受け入れないだけではなく、福音を使い、人々を惑わす人々がいたのです。わたしたちが神様の救いに与るということは、このイエス・キリストの愛の裁きを受け取ることです。そして、私たち人間が罪に生きることは、このイエス・キリストの愛の裁きを受け入れないことなのです。
5: 裁くのではなく赦しを
裁くことは、お互いの関係を断ち切ることです。そして赦すことは、断ち切れた関係をもう一度つなぐことです。神様はイエス・キリストをもって関係をつないでくださるのです。それは人間と人間の関係をつなぐためです。心の中に「怒り」や「憎しみ」が生まれたときにこそ、わたしたちは愛されている者として、自らの意志をもって「あなたの愛をいただきます」という道を選び赦し合う道を進んでいきたいと思います。(笠井元)