1: 心から求める
まず素直に「求めること」を学びましょう。神様は「求めなさい、そうすれば与えられる」(7)と語られます。私たちは神様に「求めている」でしょうか。私たちは人間の常識範囲内のことだけを求めて、祈ってしまっていないでしょうか。「求めましょう」。それが神様の御心かどうかはわかりません。それでも私たちは心の底から「求めていきたい」「祈っていきたい」と思うのです。
2: 聞かれない祈り
ただ、どれほど神様を信じて、求めて、祈っても、その祈りのすべてが聞かれるわけではないのです。自分の命を投げ捨てて「隣人を助けてほしい、癒してほしい」と祈っても、その祈りが全部聞かれるわけではないのです。祈っても聞かれないことが続く時に心は疲れてしまいます。ただ祈りが聞かれないことは神様が薄情だから、祈り、求めを聞いてくれていないのではないのです。天の父、神様は求める者に、必ず良い物を与えてくださるのです。
3: 何を求めるのか
今日の箇所は、山上の説教のしめくくりとして記された箇所です。イエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」「御国が来ますように。御心が行われますように」「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」と教えているのです。「神の国と神の義」。つまり、「神様の御心」、「神様の御業」を求めなさい。それは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」ことだと教えられているのです。
4: 命に通じる狭い道
イエス様は「狭い門から入りなさい。」と教えます。「狭き門」といえば、競争率の高い、入ることが難しい道、多くの人が振り落され少しの人数だけが選び出される道を考えるのです。しかし、ここでの「狭い」という言葉は、「窮屈な」「圧迫された」という意味を持ちます。私たちにとって「命に通じる狭き道」、「神の国と神の義」を求め「敵を愛して」生きていくことは、とても窮屈なことかもしれません。ここでは自分の思いではなく、神様の思いを中心に生きるという「窮屈な道」に「命の道」があると教えているのです。
5: 聖霊の導きを求める
神様は「敵を愛しなさい」と言われるのです。この道は神様に「求めなければ」できない道なのです。11節では「自分の子供には良い物を与える」と教えています。この「良い物」はルカによる福音書では「聖霊」とされています。
神様は聖霊を与えてくださいます。「敵を愛する」という不可能な愛の道を歩かせてくださる「導き主」「聖霊」が与えられるのです。「求めなさい」という神様の言葉に期待して、「敵を愛する」という道が開かれることを信じて求めていきましょう。(笠井元)