1: 世界は敵意に満ちている
第二次世界大戦が終わり、そこから世界はどれだけ平和に向かってきたのでしょうか。73年の間に、私たち人間はどれほど平和を求め生きてきたのでしょうか。現在の世界を見てみますと、世界は今も変わることなく敵意に満ちているのです。聖書の中には「嫉妬」「怒り」「殺し」の記事がたくさん記されているのです。聖書には良いことばかり書いているのではないのです。世界には「敵意が満ちている」。聖書はこの現実にどのように生きるべきかを教えているのです。
2: 平和 日々の生活を保つ?
平和とはどのような状態のことをいうのでしょうか。知り合いの子どもは「日常の生活の大切さ」を学んだようです。確かに、今生きている、そこにすでに大きな恵みがあるのです。しかし、本当にこれだけでいいのでしょうか。自分の日常が守られること、それだけでよいのでしょうか。
私たちは自分の日々の生活を守ろうと、どうにか頑張って生きる中でいつの間にか、加害者になっていることがあるのです。戦争や殺し合いはしていなくても、自分の「したいことをする」ために、普通にご飯を食べ、寝て、遊び、笑い生きていくために、私たちは、他者を傷つけ、その生活を奪い取り、多くの人々の喜びや笑いを奪い取ってしまっていることがあるのです。
3: 平和をつくりだす
神様が求められていることは、「今の生活を守る」だけではなく、もっともっと積極的に「平和をつくりだす」ことです。今の生活を守るため、自分の喜びが続くためだけではないのです。神様の言葉「平和をつくりだす」とはもっと具体的に、何かをしなければならないことを教えているのです。
神様の求める「平和」は、すべての人間が喜び、幸せになることなのです。
4: イエス・キリストによってつくりだされる平和
神様は人間イエスとしてこの世に来られたのです。神様は、自らの力で、相手を押さえつけよう、相手を言い聞かせようという行為ではありませんでした。この世に「平和」が来てほしい。平和をつくりたい。すべての人間が喜んで生きてほしい。その願いの実現のために、神様は自らが弱い者となり、仕える者となり、自らが小さい者となられたのでした。
イエス・キリストは、「敵意」を打ち砕くために、この世に来られたのです。わたしたちは、「敵意」「怒り」「憎しみ」を心に抱く時、今一度、自分に与えられている神様の愛、十字架の出来事に立ち返りたいと思います。そして十字架という福音を受け取り「平和をつくりだす道」を歩き出していきたいと思います。(笠井元)