1: 箴言
『箴言』の多くの言葉はイスラエル王ソロモンの言葉として記されています。現在の研究では、ソロモンが記したとされる言葉もあれば、ソロモンが収集した資料、またソロモンに由来する言葉、そしてソロモンとは特に関係もない資料も含まれていると考えられています。今日の箇所は、ソロモン王の時代より後の時代、それは神様から離れ、結果として国は滅ぼされ捕まえられていく暗闇の時代に記された言葉と考えられています。今日の箇所は、そのような時代において「神様に従うことの大切さ」を教えているのです。「神様に従うこと」について4つの視点から学んでいきます。
2: 神様との関係
まず一つ目に「神様に従うこと」は、神様がいてくださり自分がいる、「わたし」と「あなた」という関係があるということです。「わたし」と「あなた」という関係があることは、私たちは一人ではない、孤独ではない、向かい合ってくださる方がいるということを教えるのです。「愛」の反対は「無関心」と言われています。「愛」「喜び」「幸せ」は、「関係がある」ことです。人間は、「わたし」がいて「あなた」がいる、その関係を求めているのです。
3: 神様の御心に生きる道の定め
二つ目に、神様との関係は「主の御旨」が「王の心」を水路のように方向を定められる関係だと教えられます。これは神様が私たちの道を整えてくださるということです。ここには、神様が主であり、人間がその主に従う者であるという関係があります。多くの人間はこの関係が逆に、人間が「主」となり神様が「従う者」という関係になっているのです。ここではそのような人間に、まず神様が「主」であり、御心のうちに人間に生きる道を示し、定めてくださることを教えているのです。
4: 従う方 イエス・キリスト
三つ目に「従う方」がこられたということです。2節では「人間の道は自分の目に正しく見える。」(2)、新改訳では「人は自分の道はみな正しいと思う。」(2)となっています。私たちは、自分の道がすべて正しいと思ってしまうのです。人間は傲慢な存在です。だからこそ神様は、神様を主とし「従う方」イエス・キリストを送って下さいました。イエス様の人生はまさに「従う」人生、「仕える」人生でした。神様はこのイエス・キリストを通して、傲慢な人間に「従う道」を開いてくださったのです。
5: お互いに従う道
神様は、従う者としてイエス・キリストを送って下さいました。それは、私たちの心を知り、従い、仕え、そして共に生き、祈り、支える道を歩まれたのです。四つ目の「神に従うこと」は、私たちが、共に祈り合い、お互いに従い合うことです。イエス様は、私たちに仕え、私たちと共に生きてくださったのです。私たちは、このイエス・キリストの道を受け取り、神様を主とする者として、お互いに仕えあい、従う者として生きていきたいと思います。(笠井元)