1 移動中の幕屋の建設
幕屋は、荒野を移動するイスラエルの民に示された「神様の居場所」でした。イスラエルが移動するたびにこの幕屋も解体し、もう一度作ったのです。この幕屋の全体の大きさは、15節からの箇所に記されています。何重にも幕をかぶせた建物を、移動するたびに何度も組み立て、解体したのです。幕屋を作ることは、神様が共にいてくださることを表しました。イスラエルの民はカナンの地に向かう流浪の民でした。幕屋を作ることで、いつも神様が共にいてくださることを覚えることができたのだと思うのです。
2 神様を中心とした群れ
幕屋の建設は、イスラエルという集団の「中心」にいつも神様がいてくださることを表すことになったでしょう。中心的場所に何があるかということは、その集団の思いを象徴していると思います。昔、アメリカの移住者は町の中心にまず教会を作ったそうです。イスラエルという移動の民がその中心に作ったのは幕屋です。中心に神様がおられる、イスラエルの民はそのような信仰に立ち返っていたのです。
3 神の幻
このような幕屋の建設は「作り」「壊し」また「作る」という作業の繰り返しです。どこかで「もう作りたくない」という不満の言葉も出てきたでしょう。
この箇所が記されたのはバビロン捕囚の時代だと言われています。その時代はすでに幕屋から神殿、そして神殿も壊されてしまっていた時代です。生活的にも、信仰的にもどん底にあって、もう一度神様の与えてくださる幻を見ていたのではないかと思うのです。確かに、神様は共にいてくださるという信仰の原点を思い起こす出来事となったのではないかと思うのです。
4 至聖所の垂れ幕 礼拝の重み
至聖所の垂れ幕を作るように指示されます。至聖所には、「掟の箱」が安置され「聖所」と「至聖所」を分けるのです(33)。至聖所にはイスラエルの罪の贖いのために年に一度大祭司が入ったのです。(レビ記16章)ここからは、イスラエルの神様への信仰、礼拝の重さを感じます。
現在は、イエス・キリストの十字架によって、この垂れ幕は裂かれ、神様との関係はキリストによってつなげられたとされました。ヘブライ9:1-12(11-12)ただ、何も献げなくなったことは、礼拝の重みを忘れさせてしまっているのかもしれません。私たちの罪の贖いとしてイエス・キリストが十字架の上で死なれたことの重みをきちんと感じる必要があるでしょう。(笠井元)