1: 家族を愛する
ペトロは仕事道具である「網」を捨ててイエス様に従いました。しかし、ペトロは、イエス様に従うにあたって家族を持ち、家族を大切にして従っていたのです。イエス様は隣人を愛するように教えられました。その一番の隣人とは家族でしょう。イエス様は私たちに「わたしはあなたを愛している。あなたも自分を愛しなさい。そして同じように隣人を愛しなさい」と教えているのです。
2: ペトロのしゅうとめの回復
ペトロのしゅうとめが癒されていきます。当時は女性を蔑み、社会の一員として受け入れていなかったのです。イエス様は、そのような立場の「女性」のところに来てくださったのです。ペトロのしゅうとめは「寝込んでいました」。「寝込んでいた」という言葉は、もはや人間では手のつけようがない状態を表し、ペトロも含め、家族のみんなが「絶望」にあったのです。イエス様は手を付けることができない、どうすることもできないと思い、あきらめていたところに、手を差し伸べてくださったのです。
3: 御言葉による回復
16節からは「悪霊に取りつかれている」多くの者が連れてこられたのでした。「悪霊」は、聖書では別の言葉では「誘惑」「誘惑する者」とも記されています。「誘惑」は私たち人間が神様から離れていくようにする存在で、私たちが隣人を裁き、隣人を受け入れないように「誘う」存在です。
イエス・キリストは、人間が神様に目を向け、その愛を見ることができるようになるために御言葉を与えられたのです。御言葉には、癒しの力があるのです。
4: キリストが引き受けられた
イエス・キリストによる御言葉の力の源は、このあとの言葉に、その基が表されます。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」これは「苦難の僕」としての、イエス・キリストのその十字架の姿を預言したとされる言葉です。イエス・キリストの癒しの御言葉は、イエス・キリスト自らが、その「病」を担い、その「痛み」を受け入れ、最終的にその命をかけて、「死」までも受けられた。その十字架の出来事による御言葉なのです。
5: ペトロのしゅうとめの奉仕
ペトロのしゅうとめは、イエス様に癒された後、起き上がり、イエス様をもてなしたのです。ペトロのしゅうとめは「もてなす者」、つまり「仕える者」と変えられていったのです。人間は、このペトロのしゅうとめと同じように、神様の御言葉の癒しによってのみ変えられるのです。イエス・キリストの癒しの御言葉をいただきましょう。(笠井元)