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2018.10.14 「友であるイエス」(要約) ヨハネによる福音書15:13-15

 日本で知られている賛美歌は「いつくしみ深き」でしょう。1910年文部省唱歌で歌われるようになったことがその大きな理由でしょう。しかし、その歌詞の背後に流れる信仰者の生き方が伝わるからでしょう。今朝は、「いつくしみ深き」の歌詞から、「友なるイエス」に慰めを受けるという信仰の在り方を考えます。

 

1.神は私たちの「父」であるのか「友」であるのか

 儒教的な世界、家父長主義社会では「父」は近寄りがたい厳格なイメージであるかも知れません。ヘブライ語(旧約)聖書においては神を「父」と呼ぶ箇所はほとんどありません。しかし、神を父とイメージすることはキリスト教に定着しなした。例は少ないですが、神を友と呼ぶ箇所があります。聖書の信仰においては、神は私たちの「友」なのです。

 

2.アブラハム、モーセの友である神

 イザヤ41:8~10で「わたしの僕イスラエルよ、わたしの選んだヤコブよ、わたしの愛する友アブラハムの末よ」と言われています。これを受けて、新約聖書のヤコブ2:23に「『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた』」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです」とあります。アブラハムは神の友達であり、神はアブラハムの友達です。また、出エジプト記33:11には「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」とあります。こうして、アブラハムとモーセは神の友と呼ばれ、神は彼らの友達でした。

 

3.友であるイエス

 ヨハネ福音書15章はイエスが十字架で殺される前の晩の弟子たちとの別離の会話です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上大きな愛はない。わたしの命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友である。」と言われました。ここにはイエス様と弟子たちとの深い信頼関係が語られています。イエス様は私たちの友であり、このイエス様にあって、神は私たちの友なのです。

 

4.危機の経験の中での友なる神

 「いつくしみ深き」の作詞者スクライヴンはアイルランド出身です。184324歳の時、ある女性との結婚式の前日、婚約者の乗った船が転覆し、彼女は溺死してしまいました。スクライヴンは絶望し、悲嘆に暮れました。翌年、傷心を抱えてカナダに移住して教師になります。41歳の時に、キャサリンと恋をするのですが、今度はこの女性を結核で失ってしまいます。そして、アイルランドに残してきた母が病気で臥せっていると聞いて、彼はこの詩を手紙に添えて送りました。このような悲しく辛い経験の中から友であるイエスに祈ることを教わったが故に母にこの詞を送りました。彼の苦難の中での信仰の経験が人の心を打つのではないでしょうか。私たちには祈ることのできる友なるイエスがおられます。祈りの中で悩みや重荷を委ねましょう。(松見俊)