1: いやし
イエス様の癒しの出来事は多くの人々を引き付けたのでしょう。一人の律法学者が「どこへでも従って参ります」と言いました。この人もまたイエス様の癒しの業に感動した者だったのでしょう。イエス・キリストに従うことは「枕するところもない」ほどに人々から疎外され、受け入れられないこと。それは十字架という「死」に向かう道。自分を捨て、他者のために生きていくことだと教えられているのです。
2: 死んだ者の主
「父を葬ること」は当時のユダヤの社会において何よりも大切なことでした。しかし、イエス様は「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」(22)と言われました。主イエス・キリストは死んだ者、死んでいく者にとっても「救いの主」なのです。イエス・キリストは、十字架で死に、その死を超えてそのものの主となってくださるのです。
3: まず行うべきことは何か
今日の御言葉は「まず何をおこなうべきなのか」ということを教えています。イエス様は何よりも大切であった「父の葬り」を超えて、「わたしに従いなさい」と教えられているのです。
私たちは何をすべきなのでしょうか。私たちは、人間として、この世のしがらみの中で生きていくのです。私たちが、イエス・キリストに従うことは、自分だけがパラダイスにいることではなく、他者のためにこの世で傷つくこと、「しなければならないという」しがらみがある中で、他者を愛することなのです。
4: イエス・キリストに従うために
イエス・キリストに従う道は、何をするにしても、それが正しいのか問い続けていく道です。主が私たちを愛してくださっている。このイエス・キリストの愛に信頼して生きていきたいと思うのです。
5: 従いさせていただく希望
この後、弟子たちは船に乗り、嵐にあいます。前にも後ろにも行くことができない状態です。その中で「主よ、助けてください」と叫ぶことだけができたのでした。私たちはイエス様に「助けてください」と叫ぶことが許されている。そして、主イエスは、私たちがどのような状態にあっても必ず助けてくださいます。私たちはその愛を土台として、互いに仕える道を歩きだしていきたいと思います。 (笠井元)