1: 虐げられている小さい者
ユダヤの社会において子どもというのは、神様から与えられている律法を守ることが出来ない、小さい者と考えられていたのです。子どもはとても小さく弱い存在だったのです。このことは現在もあまり変わりないのです。子どもという小さい者が虐げられているということは、今も昔も変わらないのです。
小さい者としての存在は、なにも子どもだけではないのです。聖書では「寄留者」「やもめ」「子ども、特に孤児」の権利を守るように教えています。
2: 神のえこひいき
神様は小さい存在を愛されたのです。聖書の神様は、小さい者を愛されます。聖書を読んでいると時々それが「えこひいき」に見えることがあります。
確かに、神様は小さき者を愛されます。本来、神様の前にあって私たちは、「小さい」とか「大きい」という隔てはなく、すべての者が同じところに立つ者なのです。しかし、この世の価値観は、「小さき者」「虐げられる者」をつくりだしてしまっているのです。それに対して、神様は小さい者を愛することで、無条件の愛を示されているのです。
3: 小さい者となられた
「小さい者を愛される」という神様の前にあって、弟子たちは「誰が一番偉いのか」ということを話し合っていたのです。この姿は、まさにわたしたちの姿ではないでしょうか。神様が小さい者を愛する前にあって、人間は「誰が偉いのか」を争っているのです。
イエス様は、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」と語られました。「わたしの名のために」という言葉は、「わたしであるかのように」という意味でもあります。イエス・キリストは神の子でありながら、自分を無として小さく、弱い者となられたのです。
4: 祝福 神の愛を表す
祝福とは「良い事を言う」という意味を持ちます。祝福されることは「良いことを語り、良いことを生み出す力を持つ」のです。「祝福される」ということは、自分になにか良い事が起こるように考えがちですが、むしろ「良いことを生み出すこと」を意味するのです。神様の祝福をいただくとは、神様の祝福を受け、神様の祝福を表す者となるのです。神様は私たちに祝福を与えてくださっています。イエス・キリストを与え、良いことを生み出す力を与えてくださっています。(笠井元)