1: 預言者イザヤの時代背景
今日の箇所は「平和を実現する救い主」が現れることを語っています。
時代背景を見てみますと、イザヤの置かれていた状況は、決して平和と言える状況ではありませんでした。イザヤは預言者として、南ユダ王国において、アハズ王とヒゼキヤ王が王様のときに活動を行いました。この時は、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされていく、そのような時代でした。アッシリアによる圧力の中、アハズ王はアッシリアに頼り、ヒゼキヤ王はエジプトにより頼んだのでした。国を治める王として、国家、国民を守るために軍事力、経済力、様々な力と知恵を出しきって国を守ることは当然かもしれません。力による解決を求めることがこの世の価値観なのでしょう。
2: 平和とは
私たちは一体どのような状態のことを「平和」と考えているでしょうか。力による平和は、確かに一時的に争いがなくなるかもしれません。しかし、それは力で押さえ付け、不満があっても声をあげることが許されない状態という、とても偏った平和となっているのです。イザヤは神様により頼み、神様との関係をもつことによって得られる状態を「平和」と語ったのでした。
イザヤは6節から9節では狼は小羊と共に、豹は子山羊と共に、子牛は若獅子と共に存在すると語ります。共にいることが自然であり、お互いにとって大切な存在である。このようにあることを神様との正しい関係による「平和」と語っているのです。
3 主を畏れ、敬う
神様との正しい関係は「主を畏れ、敬う」ということから始まります。この神様との正しい関係をイエス・キリストが実現されたのでした。イエス・キリストは、神様との正しい関係を築き、そして私たちがその関係に与る者となるために、この世に来てくださったのです。神様はこのイエス・キリストを通して、私たちが神様に向きあう道を開いてくださったのです
4: この世に生まれたイエス・キリスト
聖書は「お互いの違うところを受け入れ合いなさい」と教えます。それは、私たち人間が努力してできるようになるのではなく、神様が与えてくださっている、イエス・キリストを心に迎えることによって開かれる道なのです。
神様はこの世にイエス・キリストを送って下さいました。そして今も、私たちの心に愛を注ぎ続けてくださっているのです。キリストの誕生を待つアドベントのこの時に、わたしたちは今一度、自分自身の心のうちに来てくださっているイエス・キリスト神様の愛に目を向けていきましょう。(笠井元)