1: 絶望的困難の時
中風の人は、ただ病気によって苦しむだけではなく、社会的には罪人とされ信仰においても苦しみの中にありました。それは、起き上がる気持ちも、信仰も打ち砕かれてしまっていたと読み取ることができるのです。そして神様への信仰に疑問を持ち始めていたのです。それほどに心は疲れて希望を失っていたのです。
2: 隣で祈る人々がいる
絶望の中にある中で、中風の人をイエス様のもとへ連れてきた人たちの姿があります。中風の人を運んできた人々は、中風の人が毎日苦しみ、肉体的にも、精神的にも、信仰的にも疲れ切っていたことを知っていたのです。だからこそ、みんなでイエス様のところに連れてきたのです。私たちは、自分が苦しい時に隣で祈ってくれている人がいることを覚えましょう。私たちは祈られている者なのです。教会はそのためにあるのです。
3: 心を知ってくださる方
祈りの中心にイエス・キリストがおられるのです。私たちの本当の心の中をすべて知っておられる方はイエス・キリストです。私たちのために命を掛けて生きて、死なれた方、そして復活された方。イエス・キリストがすべての人間の心を知って下さっているのです。
4: 「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」
イエス様は「子よ」と呼びかけます。イエス様は中風の人に、「あなたも神様に愛されている子どもです」と呼びかけたのです。中風の人の心の痛みに「神様に見捨てられた」「社会的に受け入れられない罪人だ」とされている苦しみがあったのです。イエス様はこの中風の人の心を知り「あなたの罪は赦される」と言ってくださったのです。
5: 畏れと賛美
イエス・キリストの権威に出会ったときに、律法学者は心の中で「この男は神を冒涜している」とつぶやきました。私たちには神様の愛を受け入れる心があるでしょうか。主イエス・キリストは、私たちのすべてを知って祈って下さっています。私たちは兄弟姉妹に祈られています。私たちは神様の愛をいただきましょう。そして心を変えられて、今度は私たちが祈る者、隣人のために祈る者へと変えられていきましょう。(笠井元)