1: 徴税人マタイを招いた
イエス様はマタイという徴税人を招かれます。この時代の税金とはローマ帝国に納めるものでした。そしてその税金を徴収するのが徴税人です。ユダヤ人の中で徴税人とはローマに魂を売った人たち、裏切り者という立場にあったのです。イエス様が招かれた人は、このようなユダヤの裏切り者、徴税人マタイでした。
イエス様はなぜマタイを招かれたのでしょうか。ここでは、何か大きな理由は記されていません。そこにマタイがいたから。イエス様が目を留められたからです。イエス様は、マタイという徴税人、ユダヤの社会において蔑まれ、軽蔑された存在を選ばれ招かれたのです。
2: 生き方の違い
イエス様は徴税人マタイを招かれました。そして徴税人や罪人をと食事をなされたのです。ファリサイ派の人々は、このことを受け入れられませんでした。私たち人間はそれぞれにお互いに少しずつ妥協して社会を形成しています。ただ妥協ができないほどに価値観の違う人たちとは、違う共同体を作り始めるのです。ファリサイ派の人々にとっては、律法を守らないことは許しがたいことでした。それは少し妥協して受け入れることができるということではなかったのです。
3: 神の恩恵によってすべての人が招かれている
このような中にあって、イエス様は徴税人マタイを招かれたのです。それは神様がすべての人間を愛しておられ、すべての人間を招かれていることを表しているのです。私たちの救い主イエス・キリストは「罪人を招かれるためにこられた」のです。マタイによる福音書5章では、【父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。】と教えます。神様はすべての人間を愛された。どれほど人間が神様を裏切っても、神様は人間を愛し続けてくださっているのです。
4: イエスに従ったマタイ
今、私たちが選ぶことは、イエス・キリストによる神様の愛を受け入れるか、それとも受け入れないかということです。マタイは立ち上がり、イエス様に従い歩き出したのです。マタイは、イエス様に従う決心をしたのです。すべての者がイエス・キリストに招かれています。私たちは、このイエス・キリストの招きに応えていきましょう。(笠井元)