1: 神と人間との隔たり
23節から登場する群衆の姿を見ます。イエス様は少女のことを「眠っているのだ」と言いました。群衆はそのイエス様をあざ笑ったのでした。ここから神様と人間との間には大きな隔たりがあることを知るのです。神様は世界を創り、私たち一人一人に命を与えられました。創造主である神様と被造物である私たちには大きな隔たりがあるのです。
2: 二人が気づいたこと
指導者は、別の並行箇所ではヤイロという名前で会堂長であったとされます。会堂長とはみんなのまとめ役でリーダーのような存在でした。社会のリーダーであればある程度は欲しいと思っていたものは手に入れることができたでしょう。それでも娘の命はどうすることもできなかったのです。人間にはどうすることもできない限界があることに気が付いたのでした。
同様に、12年間出血を患っている女性も、病との格闘の末に自分にはどうすることも出来ないことがあることを知ったのです。だれもこの病を癒すことはできなかったのです。女性は、そのことを痛感し、人間の知恵や知識の限界を知ったのでしょう。二人は、人間には限界があることに気付かされた。人間には超えられない領域があることを知ったのです。
3: 打ち砕かれた隔たり
私たち人間と神様との間には大きな隔たりがあるのです。その隔たりを打ち砕き、神様と人間との関係を繋げられた方がイエス・キリスト救い主です。イエス・キリストは、神様と人間とを繋げるためこの世に来られたのです。イエス・キリストはご自身が人間となられ、限界の中に生きてくださり、十字架に死なれ、そして復活されたのです。復活とは私たちの理解を超えた出来事です。私たち人間の領域を超えた復活という出来事を通して、神様は私たち人間との隔たりを超えて手を差し伸べられたのです。
4: 飛び込んだ二人が得たもの
二人は、イエス・キリストに飛び込むことによって、命を創造し、今も支配されている神様とつなげられたのです。二人が得たのは生きる目的、生きていく道です。二人はまったく別々の立場、社会の勝ち組と負け組でした。しかし二人は自己中心という同じ方向を向いて生きていたのです。そのような指導者、病の中にあった女性はイエス・キリストを信じたのです。二人が得たのは、神様に委ねて生きるという生き方です。
人間には限界があります。どうすることもできない領域があるのです。指導者、また12年も病に苦しんだ女性は、どうすることもできない中でイエス・キリストを信じたのです。すべてを神様に委ねて生きていきたいと思います。(笠井元)