1: 出エジプト
今日の箇所は、出エジプトという神様の救いの御業を受けたイスラエルの民が、神様を賛美する場面です。
ファラオは増え続けるイスラエル人に強制労働を課し、イスラエルの子どもが男の子であれば「殺しなさい」という命令まで出したのです。神様はモーセと兄アロンを通していくつもの災いを起こしました。そして頑ななファラオも最終的にはイスラエルを解放するのです。しかしファラオはすぐに心を変え戦車でイスラエルを追いかけました。エジプト軍が後ろから迫る中、神様は目の前にあった海を分け、渇いた道を作られたのでした。イスラエルの民は、この海にできた道を通って向こう岸へと渡っていきます。これらの出来事により、イスラエルの民はエジプトから解放されたのです。
2: 命の大切さを見失った者
この出エジプトの出来事は、単なる物語ではなく、今生きる私たちにとっても大切な出来事です。私たちにはイスラエルの苦しみと同様の苦しみ嘆きがあり、また救いだしてくださる神様の働きがあります。この世には多くの苦しみ、嘆きがあります。原因の一つには人間が命の尊さ見失っているということができます。私たちは自分自身の命をまるで自分のもののように生きてしまっているのではないでしょうか。エジプトがイスラエルを奴隷として支配したように、私たちも、自分の命、他者の命を支配しようとしてしまっているのではないでしょうか。
3: 新しい創造
神様は、このエジプトによって表される誘惑の力を海で飲み込まれたのです。16節の「買い取られる」という言葉は「創造する」という意味を持つ言葉です。神様は苦しみ、嘆きからの救いとして、新しい創造をなされたのです。わたしたちの信仰は、自分の命を自分のものだと思っていたところから、命は神様が創造されたものであり、神様が養ってくださっていると信じて、神様に命を委ねていく新しい生き方によって始まるのです。
4: 打ち砕かれた者
海の中を渡り新しく創造されていくことはバプテスマを思い起こさせます。バプテスマとは、自分中心に生きていた者が、心を打ち砕かれ、神様による新しい命をいただく出来事です。
今日の箇所では神様の御業を賛美し救いを証したのです。イスラエルの人々は神様が開いてくださった海の道を歩き出したのです。それは神様の招きに応答する一歩一歩でした。この賛美は神様への感謝と共に、神様の愛を証する賛美でもあります。私たちは神様の愛を知り、神様の招きに応えて一歩一歩歩いていきたいと思います。(笠井元)