1: 迫害を受ける者
イエス様は12人の弟子を選びだし派遣されました。そして宣教の道には多くの困難があることを伝えます。その上でイエス様は「恐れるな」と言います。宣教の道は困難の道なのです。社会から反発を受け、人々からは受け入れられず、厳しい道を歩まなければならないということです。ただキリスト教が少し道を間違えると、多くの人々を悲しみに陥れることも覚えておく必要があるでしょう。今、私たちは苦しんでいる人々に寄り添っているでしょうか。社会を恐れず、人々の目を気にせずに生きている中においては信仰をもう一度見つめなおす必要があるのかもしれません。
2: 福音は現される
イエス様は、福音はどれほど人間が押さえつけようとしても現れると言います。この言葉は、現実に福音を伝える者に対する励ましの言葉なのです。パウロは投獄され鎖に繋がれた状態にありながらも、福音はつながれないと語ります。
今、日本におけるクリスチャン人口は人口の1%以下です。現実において、福音伝道のために方法を変え、知恵を出し、力を尽くしても、福音宣教の言葉はなかなか結果としては現れません。イエス様は福音を大胆に告白することを励まされているのです。
3: 命を支配される方を畏れる
私たちは何を恐れているのでしょうか。「戦争」や「災害」、「人間関係による抑圧」「支配」「差別」、「自分の生きる力」や「将来、未来に対する不安」でしょうか。箴言では【主を畏れることは知恵の初め。】(箴言1:7)と言います。命の支配者である神を畏れることが本当の知恵の始まりだと教えているのです。
神様は完全に正義の方です。その正義の裁きに耐えきることはできないでしょう。神様はこの十字架を通してイエスという人間を裁かれ、正義を貫かれたのです。私たちが神様を畏れることは、神様の愛を知ることです。私たちは神様の愛によって生きるのです。
4: 神様に愛されている
わたしたちは髪の毛一本までも愛されて大切にされているのです。神様は小さなもの一つひとつのために御子イエス・キリストをこの世に送られたのです。今神様の愛を受け取りましょう。ただ神を畏れ、その愛を喜んで生きていきたいと思います。わたしたちは、心と言葉と行いをもって神様に従い、その福音を告白していきたいと思います。ただその道は困難を伴います。社会からの迫害を受けるかもしれません。トラブルが起こるかもしれません。しかし、神様はそこに平和と愛を送って下さいます。私たちはこの神様の愛を信じて歩き出しましょう。(笠井元)