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2019.5.19 「善き力にわれ囲まれ」(全文) マルコによる福音書10:35-45

 5月は緑の深い季節です。今日の礼拝の讃美歌として、207番を選びました。緑い深きナザレの村を貧しい大工の姿でイエス様は歩まれました。「その頭には冠もなく、その衣には飾りもなく、貧しき村の大工として、主は若き日を 過ぎたまえり」。今朝は、私たちの処に来られ、私たちの間を歩まれたこのイエス様を心に刻みながら、主イエスに従ったボンヘッファーという人の生き方を通して、今日、キリスト者はどのように生きることを神から期待されているかを考えてみたいと思います。説教後の応答讃美歌はボンヘッファーの作詞した「善き力にわれ囲まれ」を歌いたいと思います。この讃美歌は、二年間の拘留・獄中の中で、19441231日、大みそかに書かれました。3日前の1228日にはボンヘッファーは、彼の母親に誕生日のお祝いの手紙を書いており、現在編集されている「獄中書簡」には、そのあとに、この讃美歌が置かれていまので、新年を迎える大晦日が元旦にこの歌が書かれたと考えられます。彼は、1945(昭和20)年4月9日早朝に、ドイツとチェコとの国境に近い、フロッセンブュルク強制収容所で39歳2ヶ月の若さで殺されました。絞首刑でした。彼の死の約4ヶ月前、まさに、死刑囚として、命の危機の中で、命の終わりを予感させる状況の中で歌われた信仰者の歌です。

 

1.ボンヘッファーの生涯の略歴

 まず、ボンヘッファーの生涯の略歴について紹介します。ディートリッヒ・ボンヘッファーは、1906年ドイツに生まれました。プロテスタントのルター派に属する牧師であり、神学者です。私の父親は19128月の生まれですから、父より6歳年上になります。だいたい父親の世代と言ってよいでしょう。ボンヘッファーは、21歳の時に、『聖徒の交わり』という博士論文を書き上げた早熟の天才的な人でした。しかし、彼は単に書斎の人ではなく、イエス・キリストに従う信仰の人・行動の人でした。それは彼が生きた時代、あの悲惨な戦争の時代から来ているのかも知れません。

 1933(昭和8)年4月ヒトラーがお役人からユダヤ人を追放することに乗り出します。ボンヘッファーが27歳の時です。1933年と言えば、アジアでは、1931918日関東軍が中国・奉天の郊外、柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破させる事件を起こし、中国における植民地戦争が始まりました。昭和6年のことですが、満州事変が一応終結したのが1933年でした。この1933年の時点で、ドイツでヒトラーが始めたユダヤ人の公職追放が、後に600万人のユダヤ人を殺すことになることをボンヘッファーはいち早く見抜いていました。1939(昭和14)年住みづらくなった彼は、33歳の時に、ドイツから米国に逃れました。しかし、祖国の人々と苦悩を共にするため1ヶ月後に帰国し、牧師研修所で神学生を教えます。同時に、国防軍情報部嘱託の働きも始め、やがて、ヒトラーに対する政治的抵抗グループに加わって活動します。しかし、それが発覚してドイツ当局に捕まり、有罪判決を受けて、死刑を執行されたわけです。キリスト者は暴走車に巻き込まれて怪我をした人を介抱するだけではなく、ヒトラーという暴走車そのものを止めねばならなかったと言っています。彼が処刑された日から約20日後、1945(昭和20)年の430日ヒトラーはベルリンの総統官邸で自害し、ドイツ第三帝国は崩壊します。ドイツが連合軍によって解放されるわずか1ケ月前にボンヘッファーは殺されたのですから、連合軍の勝利があと1ヶ月早かったら彼は死刑にならずに済んだことでしょう。人間の運命は分からないものです。日本社会では、激しい沖縄戦の後、同じ年の86日と9日にヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されたわけです。

 

2.善き力とは何か:天使たち

 この讃美歌は、綺麗に韻を踏んでいます。これはドイツ語でお見せしなくてはとプリントしておきました。一行目は、「善き力にわれ囲まれ」で始まります。ナチス政府に捕まり、死刑執行を待つ暗く、侘しい牢獄の中で、どのような「善き力」に囲まれているというのでしょうか。「力」は複数形ですので、彼のために祈ってくれる教会の祈りの力を意味しているのかなあと思っていました。大方のキリスト者がヒトラーに協力する中で、ボンヘッファーの仲間は本当にわずかなものになってしまいました。そのような中にあっても教会の友人たちのことを考えているのはさすがボンヘッファーだなあと感心していたのですが、今は亡き天野有先生にお聞きするとボンヘッファーはこの諸力を「天使たち」であるとどこかで言っているそうです。今やその出典を確かめることはできませんが、そうか、ボンヘッファーは天使を見る人であったのかと思いました。暗い絶望的にも見える牢獄の中で、「大勢の天使たちに信実に、静かに取り囲まれて、不思議にも護られ、慰められていた」というのです。天使たちの群れはまさにイエス・キリストにおいて私たちの傍らにいてくださる神のしるしであったに違いありません。そのような神の守りと慰めの中で、彼は友人たちと新しい年、1945年を迎えようとしているのです。

 彼の友人のベートゲは、ボンヘッファーの人生を「外的奉仕のための内的集中」の人生であると言います。覚えておくべき言葉です。マザー・テレサも、インドで死にゆく人々の傍らに居続けたのですが、お祈りの時間になると病人を置いて退いてしまったそうです。それを咎めた人々に対して、彼女は、彼女の奉仕の原動力は神に祈る静かな時を持つことであり、それがなければ生涯に亙る奉仕はできないと応えたそうです。一見余りにも伝統的に見える宗教者の姿の中に、外的奉仕のためには、内的なキリストへの集中・祈りが必要であるということ、私も含めて現代人が最も見失っていることを教えられます。祈りのための祈りではなく、他者に仕えるための祈りであり、単に心を乱しがちな活動のための活動ではなく、外的奉仕のための内的集中です。この讃美歌の第1節はそのようなボンヘッファーの姿勢が上手に歌われています。ボンヘッファーは、神との深い交わりと他者のための奉仕に生きた人でした。

 

3.苦き杯を主の手から受け取る

 第2節には、過去を思う時に、悪しき日としか言えない過酷な経験があり、神のために、他者のために十分生きえなかった自分の後悔などが重荷となって、のしかかり、心を悩ませると歌います。ここでボンヘッファーは「われらの」と言うことで、友人たちの苦悩・苦労と連帯しています。そして、主なる神に救いを祈り求めています。

 私の心を引く箇所は、第3節です。「苦き杯を、それがみ心であれば、恐れず、感謝をこめて、善き、愛する神のみ手から受けよう」と歌います。ハレハレの救いの喜びというか、苦しむ他者のために、その人の苦しみを共にするという決意です。このような讃美歌は新生讃美歌では少ないと思います。

 この個所は、今朝読んでいただいたマルコ10:35~45を思い出させます。主イエスが三度目の苦難と死を予告するという文脈で(10:3234)、12弟子の筆頭のヤコブとヨハネが、神の国が到来したら、自分たちを王である主イエスに次ぐ右大臣と左大臣にしてくれと願い出ます。これに対して、主イエスは「このわたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」(38節)と聞いています。

 「杯」は喜びのワインを共に読むことを意味しています。喜びの交わりです。しかし、逆に「杯」は運命的な重荷を背負わされ、苦難を味わい尽くすことをも意味しています。詩編11:6は「(主は)、主に従う人と逆らう者を調べ、逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り、燃える硫黄をその杯に注がれる」と言います。エレミヤ25:15は、「それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。「わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ。」」と。確かに「杯」は苦難を味わるというイメージを持っています。しかし、最も印象的なことは、イエスご自身の苦悩でしょう。マルコ14:35~36にはこう書かれています。ゲッセマネの園の場面です。「少し進んで行って地面にひれ伏す、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取り除けて下さい。しかし、御心に適うことが行われますように」。これは、主イエスが罪ある私たちに代わって死んでくださる、神とみ子キリストの間の深い、深い、断絶の経験でした。たぶんこの恐ろしさはイエス・キリストしか知りえない孤独な経験であったと思います。

 先ほどのマルコ10:45の「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」ということに繋がっています。わたしたちの主イエスが、愛する者のために身代わりに苦き杯を飲み干され、十字架の死に赴いたのであれば、ボンヘッファーは、この世での苦き杯を、それがみ心であれば、恐れず、感謝をこめて、善き、愛する神のみ手から受けようと歌います。「杯」は苦いものであっても、「善き、愛する主なる神から」受けるのです。

 

4.この世の支配者を乗り越えるために

 なぜ、主イエスは、そして、彼に従う者たちは、苦き杯を飲むことになるのでしょうか?それは、「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている」42節)からです。そして、弟子たちでさえ、どちらが偉いかで互いにライバル心を燃やし、「ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた」とあるのです。私たちが生きている日常生活のあり様をこれほど端的に言い表している言葉はないのではないでしょうか。「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。」ハラスメント、理不尽としか言いえないようなこのようなあり方をひっくり返し、克服するには、主イエスご自身が、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と言われ、十字架において神と弟子たちから捨てられるという苦難の杯を飲み干されたのです。ボンヘファーは獄中書簡の中で、キリストは「他者のための人間」であると言っています。キリストは人間となられた神のみ子ですが、まさに、人となられ、十字架で苦難を味わい尽くした他者のための人間として生き抜いたからこそ神の子なのです。

 この世の支配者の論理と姿勢を乗り越えるために、神の子キリストは徹底して「他者のための人間」となられたのです。このことは、すでにキリスト・イエスにおいて起こっていることであり、最も確実な現実です。このような生き方が当座は敗北に見えたとしても必ず勝利するのです。だから、ボンヘッファーは、「われらはそれを恐れずに感謝して、あなたの善き、愛する御手から受け取ろう。」と歌うのです。しかも死刑を待つ独房の孤独の中においてです。

 

5.「究極的なもの」と「究極一歩手前のもの」

 最後に、ボンヘッファーが、殺されてからその断片を編集して出版された「倫理」の一節を考えて見ようと思います。彼は「究極的なもの(Die letzten Dinge)と究極以前(Die vorlezten Dinge)を区別しながら両者を関係づけて生きる処にキリスト者の生きる姿勢を考えました。私は、「究極以前」というより「究極一歩手前のもの」と翻訳します。究極的なものとは、キリスト、恵みによる赦しとしての福音とその完成の希望です。究極一歩手前のものとは、過ぎ行くこの世とその中にあるもの、そこで、信仰者はそれぞれ課題を与えられて生きていることです。究極的なものだけに目を向ければ、私たちには、悟りを拓いて現実逃避が起こります。究極一歩手前のものだけに目を向ければ、絶望かあるいは自己絶対化と熱狂主義に陥るのです。

 ボンヘッファーの場合は、苦悩・苦難は別格でした。絶対平和主義とも言うべき、無防備、非暴力の平和を追求して生きてきた彼が、たとえヒトラーが狂気のような権力者であっても彼を暗殺する計画に加担したのです。ヒトラーをこのままにして何もせず、600万人のユダヤ人が殺され、ドイツ人の自由と人権が奪われるのを手をこまねいて見ているのか、あるいは、それが悪であったとしてもヒトラーを暗殺するかの選択です。最後の段階で、ヒトラー暗殺計画を含むクーデター計画にまでボンヘッファーが参画したことは、キリスト者、それも牧師としては逸脱行為であり、罪であると見做す人々も多かったのです。しかし、彼は、自分でその罪を引き受ける道へ歩み出したのです。それは、究極一歩手前でなさねばならないことであると判断したのでしょう。このように「究極的なもの」と「究極一歩手前のもの」を区別しながら関係づけることで、ボンヘッファーはヒトラー暗殺という道を熱狂的にではなく、自己絶対化することなく、世の罪を背負うこととして選んだのではないかと思います。だからこそ、この「善き力に我囲まれ」には希望と喜びが歌われています。4節に、「しかしあなたがもう一度この世での喜びと、太陽の輝きをわれらに贈り給うなら、われらは過ぎ去ったことを感謝をもって思い出そう。そのときわれらの生は全くあなたのものとなるのだ。」これは究極一歩手前のものをそのようなものとして受けて、楽しみ喜ぶ姿です。究極的なものの光の下で、究極一方手前の祝福の相対的な価値、意味、形は、破壊されたり否定されたりされずに、むしろ正しく守られ、整えられ、立てられるのです。

 そして、最後の節にはこう歌われています。「善き諸力に不思議にも保護されて、われらは落ち着いて来るべきものを待つ。神は夜も朝も、われらと共にいます、あらゆる新しい日々にも、全く確かに。」これは「究極的なもの」に信頼し、それゆえに「落ち着いて来るべき復活の朝を待つ」キリスト者の希望の生き方です。

 それでは、応答讃美歌の処で、歌詞を味わいながら、「善き力にわれ囲まれ」を賛美しましょう。(松見俊)