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2019.6.16 「人は神にかたどって創造された」(全文) 創世記1:26-31

1:  神にかたどって創造された人間

 今日の場面は、神様が、創造の第6日目に人間を創造されたという場面です。聖書では創世記1章から、つまり、その一番最初に、神様がこの世界を造られたことが語られます。神様は天地の創造として「光あれ」(1:3)と言われました。聖書の教える創造とは、神様が「どのように」世界を造られたかということではなく、神様が、「なぜ」世界を造られたかということ、「想像された意味」を教えているのです。

 時々、この創世記の言葉をとって、自然科学のレベルで読み取り、ここで記されている神様の創造と、科学によって今わかっている「世界の始まり」とが、矛盾していることから、科学者は聖書を、神学者は科学を否定するということもあります。ただ、科学の出している答えが、すべて正しいかどうかは別にしても、聖書の言葉というのは、その自然科学の教科書として「どのように」創造されたかということの答えとして読むものではないのです。聖書の言葉は神様が、「何のため」「なぜ世界を造られたのか」という「創造された意味」を教えます。そのうえで、今日の聖書の御言葉は、神様が人間を創造されたことを教えておられるのです。

 

 神様は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(1:26)と、このように言われました。人間は神様にかたどって創造されたのです。神様にかたどって。つまり、人間は何らかの形で神様の形を自分のうちに持っているということです。

 すべての人間は神様の形にかたどって造られました。それはどのような人間であっても、神様の祝福を受けて、神様の愛を受けて造られていることを教えているのです。 ただ、「神にかたどって」ということが、どのようなことなのかを決めつけてしまうことは、神様のイメージを固定してしまうことになります。つまり「このように造られているから、神様にかたどって創造されている」と決めてしまうことは、逆に「このように造られていないことは、神様の形として造られていない」と、神様のイメージを損なった人間がいることにしてしまう、恐れがあるということです。

 神様はすべての人間を「神にかたどって、神に似せて」創造されたのです。「神にかたどって創造した」ということから、神様の「わたしはあなたを愛している。愛の対象として、あなたを創造した」という想いを聞き取ることができます。わたしたちは、まず自分が「神様にかたどって造られた存在である」ということを覚えましょう。聖書は「あなたは神様にかたどり造られた」と教えます。そして同時に、神様は、隣にいるすべての人間を、愛する者として創造されたのです。

 

2:  男と女に創造された

 続けて、聖書はこのように教えています。「1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(1:27)神様は人間を神にかたどって創造されました。そしてそれは「男」と「女」に創造されたと言うのです。

 この言葉を理解する上で、まず「セクシャル・マイノリティー」について触れておきたいと思います。「セクシャル・マイノリティー」とは、同性愛や性同一性障がいといった人たちのことです。『世界がもし100人の村だったら』という本によれば100人のうち「90人が異性愛者で、10人が同性愛者」だと言います。予想以上の割合で驚かされるのではないでしょうか。実際にそれほど多くはなかったとしても、100人に数名はおられる、いないほうが不自然であると言えるかもしれないということです。キリスト教には、今日の言葉、「神様は人間を『男』と『女』に創造したという、聖書の言葉から、「セクシャル・マイノリティー」の方々を断罪し、排除してきたという歴史があります。教会は、まずこの歴史から、自分たちの間違いを認め、悔い改めていく必要があります。最初に言いましたように、神様は、すべての人間を、それがどのような人間であっても、自らにかたどり、その者を祝福し、愛する存在として造られているのです。

 

 そのうえで、この「男と女に創造された」という言葉から、人間は、神様にかたどられて造られたという同じ存在でありながらも、「男」と「女」という違いを持つものとして、創造されたことを知るのです。「男」も「女」も神様にかたどって創造さました。そして「男」と「女」という違いを持つ者として創造されたのです。そこには「優劣」はありません。そしてそれは「男」とか「女」という違いだけではなく、どのような違いがあるとしても、それは対等であり、お互いに神様にかたどられた者として造られているということでもあるのです。

 「男」と「女」に創造された。この言葉から、聖書は、私たち人間は一人で生きる者としては創造されていないことを教えます。人間は自分とは違う他者を必要とする存在として創造されました。他者との交わりを必要とする者として創造されたのです。誰かを必要として、誰かを愛し、愛されて生きる者として創造されたのです。教会ではなくても、一般的倫理観として「お友だちを大切にするように」ということは当然のこととして、教えられるかもしれません。私は子どもたちに宗教教育で同じように「お互いを大切にするように」教えています。しかし、それはただ人間の倫理観というだけではなく、神様に創造された者だからこそ、神様が愛されている存在、神様にかたどって造られた存在だからこそ、「自分を愛し、隣にいる人を愛しましょう」と教えています。

 イエス・キリストは、この神様の愛の広さを教えるため、このように言いました。【5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」】(マタイ5:43-44)  私たちは、すべての人間が神様に創造された者として、お互いを大切にし、お互いのために祈り、愛していきたいと思います。

 

3:  祝福

 そして、神様は28節において人間を祝福されました。【1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」】(1:28)私たちは神様に創造され、祝福を受けたのです。ここでは神様は「支配せよ」と言います。この言葉から、人間がすべての動植物を与えられ、支配することが許されている、一番偉い存在なんだと、思い違いをしてしまうことがあります。現在、人間は自分の分をわきまえず、まるでこの世界の支配者のように振る舞ってしまっているのではないでしょうか。現在、問題となっています、プラスチックごみ、大気汚染、食品ロスなど・・・人間はこの地球は、まるで自分たちのものだとして、環境を破壊をし、今はもっと拡げて、宇宙にまでも、とてつもない量のゴミを落としているのです。人間は、すべてが自分たちのものであり、どれだけ地球を壊しても、宇宙を破壊しても、問題がないと思って過ごしているのではないでしょうか。

 たしかに神様は「支配せよ」と言われました。しかし、「支配すること」というのは、人間が自分勝手になんでもしてよいということではありません。「支配」。それは、神様にかたどって創造された者として、神様からいただいた、その愛と祝福を、すべてのものに注ぎ、共に分かち合うことを教える言葉なのです。

 

 私たちは神様に祝福された存在です。私たちに与えられた使命は、この祝福を広げて、すべての存在するものと、喜びを分かち合うために生きるということです。

 

4:  家族という社会から

 今日は家族礼拝です。家族とは、神様から与えられた一番小さな社会、一番近い人間関係です。私たちは、まず、この一番身近にある社会において、お互いが神様にかたどって、祝福された者として創造されているということを再確認しましょう。そして、その祝福を大きな社会へと広げていきたいと思うのです。神様はあなたを愛している。神様はあなたを祝福している。同時に神様は、隣の人も愛し、祝福されているのです。

 31節において、神様は【1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。】(1:31)とされました。神様は、この創造を見て「極めて良かった」とされたのです。これが神様の創造された世界であり、私たち人間の存在の価値です。私たちは神様から「極めて良い」ものとして創造されたのです。私たちは、この神様の御言葉を受け取り、自分自身を、そして家族を、そして隣にいるすべての人、またこの世界を、大切にするものとして生きていきたいと思います。(笠井元)