1: 神にかたどって創造された
聖書では創世記1章から神様がこの世界を造られたことが語られます。聖書は、神様が「どのように」ではなく「なぜ」世界を造られたか、創造された意味を教えているのです。神様は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」(1:26)と言われました。人間は神様にかたどって創造されました。人間は何らかの形で神様の形を自分のうちに持っているのです。それはどのような人間であっても、神様の愛を受けて造られ、存在していることを教えているのです。
2: 男と女に創造された
神様は人間を神にかたどって創造されました。そして「男」と「女」に創造されたのです。キリスト教には、この聖書の言葉から「セクシャル・マイノリティー」の方々を断罪し、排除してきたという歴史があります。教会は、まずこの歴史から自分たちの間違いを認め、悔い改めていく必要があります。
人間は神様にかたどられた者として、同時に「男」と「女」という違いを持つ者として創造されました。人間は自分とは違う他者を必要とする存在として、交わりを必要とする者として創造されたのです。誰かを必要として、誰かを愛し、愛されて生きる者として創造されたのです。
3: 祝福
神様は28節において人間を祝福されました。ここでは【地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。】(1:28)と言います。この言葉から、人間がすべての動植物を支配することが許されていると、思い違いをしてしまうことがあります。神様は「支配せよ」と言われました。しかし「支配すること」は神様からいただいた祝福を分かち合うことです。
4: 家族という社会から
家族とは、神様から与えられた一番小さな社会、一番近い人間関係です。私たちは、まず、この一番身近にある社会において、お互いが神様にかたどって祝福された者として創造されているということを再確認しましょう。神様はあなたを愛され、祝福されています。同時に神様は、隣の人も愛され、祝福されているのです。
神様はこの創造を見て「極めて良かった」(31)とされたのです。これが神様の創造された世界であり、私たち人間の存在の価値です。私たちは神様から「極めて良い」ものとして創造されました。私たちは神様の祝福の御言葉を受け取り、お互いを大切にするものとして生きていきたいと思います。(笠井元)