1: 天の国
13章では「天の国」が様々なものに譬えられていきます。イエス様は様々な言葉で「天の国」を語られました。イエス様は「天の国」がわかりにくくなるために、いろいろなものに譬えて語られたわけではないのです。そこには人間の言葉の限界性と、天の国の無限性があるのです。「天の国」は神様の愛の溢れる状態を意味します。神様の愛の形は無限に溢れ出るものであり、人間の言葉一言では言い表すことはできないのです。そのためイエス様は様々な譬えによって、「天の国」の一部分の特徴を語り、無限に広がる「天の国」神様の愛を教えられたのです。
2: 小さな種
「からし種」と「パン種」の共通しているのは、最初は、とても小さいものですが、それが成長することによって、とても大きなもの、またはとても大きく膨らませたりするということです。今の世界は考えられないほどの発展を遂げています。しかしまた、これほどに発達した世界のなかで、神様の存在はとても小さく、もはや必要ないと感じてしまっているのではないでしょうか。神様によって与えられている愛、命、希望、平和、そのすべてがとても小さく思えているのではないでしょうか。
3: 汚れた種
「パン種」は当時のユダヤにおいては、聖なる物というよりは、むしろ汚れたものとして考えられていました。私たちは何を汚れたものとしているでしょうか。私たちはどのような価値観で、「聖なるもの」と「汚れたもの」を見極めているのでしょうか。神様は私たち人間が、間違った価値観で「汚れている」とするもの、「必要ない」とするもののうちにも、「天の国」があると教えてくださっているのです。
4: イエス・キリストという福音の種
イエス様は「からし種」のように小さく、また「パン種」のように汚れたものとされるところに「天の国はある」と教えられているのです。神様は「天の国」の種を蒔いてくださっているのです。それはイエス・キリストという福音の種です。人間は、神の子イエス・キリストを、この世の一番小さな者、汚れた者、罪ある者として十字架につけていったのです。わたしたち人間にとっては「小さく」「汚れた」ものとした、その中に神様の愛が無限に広がり始めたのです。私たちは、イエス・キリストによって与えられた福音の種、神様の愛をいただきましょう。(笠井元)