1: ステファノの逮捕(6:8-15)
【キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たち】(9)は、ディアスポラ(離散の民)、ギリシア語を話すユダヤ人、ステファノの同胞者です。ステファノは同胞者から告発されたのです。人々は【わたしたちは、あの男がモーセと神を冒瀆する言葉を吐くのを聞いた】(11)と告発します。「モーセ」≒「律法」、「モーセが我々に教えた慣習」≒「割礼」、「聖なる場所」≒「神殿」という意味です。15節の「天使の顔のように」は「聖霊に満たされた状態」、「神様の栄光を表している状態」を表している言葉です。
ステファノに対する告発と、ペトロやヨハネに対する迫害の違いは、民衆の動きです。これまで【民衆から尊敬されていた】(5:34)のですが、ここでは、民衆、長老、律法学者が扇動され、ステファノは殺されていくのです。このステファノの殉教から新しい伝道が始まります。
2: ステファノの説教(7:1-50)
ステファノの説教の内容を簡単に言えば、神様による救いの御業と、それに対する民の不従順です。内容は「アブラハムの召命と割礼による契約」(2-8)、「ヨセフ物語と、エジプトへの移動」(9-16)、「モーセの誕生と逃亡」(17-29)、「モーセの召命と荒野での不従順」(30-43)、「幕屋と神殿」(44-50)、「告発」(51-53)このようになります。
モーセのことを語ることによって、「モーセを冒瀆している」という批判に対して対抗しています。イスラエルの民がアロンに従い、偶像礼拝をしたこと、この偶像礼拝がバビロン捕囚につながったと話すのです。またステファノは、「幕屋」と「神殿」について語り、ソロモンが神殿を建てたことを批判しています。
3: ステファノの告発(7:51-53)
ステファノは、自分を迫害し、告発する、ユダヤの人々に向けて、51節から、逆に彼らを告発していきます。【かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち】(51)つまり、神様に対して心が開かれていない者、聖霊を受けた預言者を殺す者であるというのです。申命記10:16【 心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。】「心と耳」に割礼を受けることは、神様の御言葉を受け取り、【ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え】(申命記10:12)ることです。
4: 私たちに向けられた言葉
ステファノの説教は、キリスト教徒を迫害し、神様に従わないユダヤの民を訴えている説教となります。このような言葉からユダヤの民を「救い主を受け入れないで殺害した民族」とすることで、ユダヤ民族の虐殺が起こりました。
私たちは、ステファノの説教が、自分に向けられている言葉として、自分たちの教会、自分の人生の間違いを見つめる言葉として受け取りたいと思います。
(笠井元)