1: 変わることのない神の愛
「天の国」が三つの形で譬えられています。一つ目と二つ目にはいくつかの共通点があります。一つは「宝」「真珠」は隠されているということです。44節の箇所では、畑に隠されている宝を見つけます。これは偶然に見つけたものです。45節からは真珠の商人が、良い真珠を探し回って高価な真珠を見つけていきます。隠されている「天の国」は、私たち人間の行為によるものではなく、私たちが期待もせず畑を掘っていたとしても、必死に求めていたとしても、どちらにも神様の愛は与えられるのです。私たちの行い次第ではなく、神様は、変わることのない一方的な愛で、私たちを愛し、私たちと共にいてくださるということです。
2: 見つけた喜び
共通点の二つ目として、「宝物」、「真珠」を見つけ出した人は、喜び、すべての持ち物を売り払って、その「宝物」、「真珠」を手に入れたということです。これは「すべてを捨てて、神の国を手に入れなさい」と命令しているのではなく、それほどの喜びが私たちには与えられているということです。
3: 隣人と生きる
神様の愛に触れる時、私たちは「自分のように隣人を愛する」者とされるのです。神様は、私たちを愛し、この世にイエス・キリストを送って下さいました。イエス・キリストはこの世界に来て、自らの人生を通して神様の愛を表してくださったのです。私たちが神様を感じて生きる道は、私たちが互いに愛し合い生きる道です。これが喜びを土台に生きていることなのです。
4: 愛に生きる
47節からはお互いに愛することを教えています。いろいろな魚が網によって引き上げられます。網の中には、良い魚も、悪い魚もいるのです。これこそ、今、私たちが生きる世界の状態です。良い人もいれば悪い人もいます。神の愛を実現する道は苦しい道かもしれません。しかし、それでも、キリストのために生きるとき、神の愛はそこにあるのです。
49節からは、終わりの日には神様の愛が満ち溢れる時が来ることを教えています。私たちは、この神様の愛の完成を求めて生きていきましょう。希望をもって、神様の愛につながり喜び生きていきましょう。(笠井元)