1: ルカによる編集
「フィリポのサマリア伝道」、「エチオピア高官の回心」の物語は別にあった資料をルカが編集、挿入したと考えられています。実際に、この箇所を抜きにして、8章3節から9章1節に繋げると話はとてもスムーズです。ではなぜここにルカは「フィリポの物語」を入れたのでしょうか。それは「殉教」「回心」といった福音のドラマの間に「福音とは」ということを考えさせるためです。
また、迫害によって散らされた人々による福音伝道の始まりが語られています。当時の迫害を受けている者にとって、大きな励ましとなったのです。
2: サマリア伝道
人々は、福音から離れ、逃げ出したのではなく、むしろこの迫害を通して、別の地に福音を告げ知らせ、福音を広げて行ったのです。その地はサマリアでした。ユダヤ人は、サマリア人を汚れている者、また宗教的に劣った存在と考えていました。サマリアへの伝道は、キリストによって、ユダヤとサマリアが、一つにされていくということを表すのです。お互いに受け入れあうことができない者たちが、福音によって結び付けられていくのです。(エフェソ2:14-16)
3: 権威の優位性
フィリポの伝道により、魔術師シモンもバプテスマを受けたのでした。このことは史実ではないと言われています。なぜルカがシモンのバプテスマを記述したのでしょうか。それは、シモンの魔術に対するフィリポの奇跡の優位性を表し、キリスト教の優位性を示したとされています。
14-16節において、使徒による祈りによって聖霊が降るという記事が続いていきます。ここにフィリポに対する、使徒の権威、エルサレム教会の優位性が記されているのです。シモンの魔術よりもフィリポによる福音があり、フィリポの伝道を完成させる使徒たちがいるのです。
4: 聖霊とバプテスマ
今日の箇所における大きな問題として、聖霊とバプテスマの分離という問題があります。(8:14-17)ここでは、まるで聖霊を受けることは、バプテスマの後に、特別な人間だけに対して与えられるようにも感じるのです。しかし、バプテスマと聖霊は別々なものとして理解するものではないのです。使徒言行録10:44-48では聖霊が降り、バプテスマを受けます。この箇所は、バプテスマと聖霊の分離ではなく、フィリポよりも使徒の優位性、そしてエルサレムの優位性を表す記事なのです。
5: 神によって与えられる聖霊
魔術師シモンは、ペトロの業に驚き、今度は「聖霊を授けられる力をください」と言ったのでした。そして「聖霊を授ける力」をお金で買い取ろうとしたのでした。シモンは「福音」を人間によるものだと考えたのです。ペトロが教えているのは、この「霊」は「神の賜物」であるということです。そしてペトロは「悔い改めなさい」「祈りなさい」と言いました。福音とは、イエス・キリストによってなされた神様の赦しです。ここではこの福音を受けとるように教えているのです。(笠井元)