1: 律法違反
バプテスマのヨハネが殺されていく場面となります。ヘロデとは、イエス様を殺そうとしたヘロデ大王の子ども、ヘロデ・アンティパスのことです。ヘロデ・アンティパスは、兄弟ヘロデ・フィリポの妻ヘロディアと結婚したのです。兄弟の妻と結婚することは律法で禁じられていました。(レビ記18:16、20:21)ヘロデ・アンティパスとヘロディアは律法を破り、罪を犯して結婚をしたのでした。このことをバプテスマのヨハネが指摘したのです。そして、そのために牢に入れられ、殺されたのでした。
2: 何が正しい事か
バプテスマのヨハネは、イエス様の先駆けとして、ユダヤの人々に「悔い改めなさい」と教え、罪の告白によるバプテスマを行ったのです。バプテスマのヨハネは死においても、イエス様の十字架による死を映し出しているのです。9節において【王は心を痛めた】(9)とあるように、ヘロデは心から喜んでバプテスマのヨハネを殺したのではないのです。そのようなヘロデを誘惑したのがヘロディアです。ヘロディアは明らかにヘロデを殺そうと企んでいました。ヘロディアが娘を唆して、バプテスマのヨハネを殺させるのです。バプテスマのヨハネを殺していったヘロデも、イエス・キリストを殺していったピラトも、自分の本意ではなかったかもしれません。しかし、その周りの誘惑、圧力に負けてしまったのでした。
3: 十字架
バプテスマのヨハネの死、そしてイエス・キリストの十字架における死は、人間が自分の間違えから離れることができずに起こった出来事でした。しかし、人間の間違えた行為を通して、神様は福音の出来事を起こされていったのです。十字架は、私たちの罪の象徴でもあり、同時に救いの象徴でもあるのです。私たちは間違えた道を歩んでしまうことがあります。しかし、失敗に絶望することはないのです。神様は、そのような人間の失敗、罪のために、この世にきてくださったのです。
4: 立ち帰ることが赦されている
ヘロデは、悩みながらもバプテスマのヨハネを殺す道を選びました。自分のプライドや権威のために、自分の間違えかえら立ち帰ることができなかったのです。私たちには自分の間違えから立ち帰る道が与えられているのです。どれほど大きな間違えでも、私たちは立ち帰り、やり直すことが赦されているのです。 私たちの最大の間違えは、やり直す道が失われてしまったと勘違いをすること、人生に絶望することです。私たちは、十字架の前にあって、自分がどのように生きるべきか、問い続けていきたいと思うのです。(笠井元)