1: アイネアを癒す 解放 32-35
ペトロはアイネアという中風で8年間寝たきりであった人を癒します。
ペトロは方々を巡り歩き、リダの町につきました。そこには「聖なる者たち」がいたのです。「聖なる者たち」とは、フィリポの伝道によって、イエス・キリストによる福音を信じた者たちのことを指しています。(使徒言行録8:40)(地図6 新約時代のパレスチナ 参照)リダという町には教会があった。この時のペトロは方々に伝道をしたというよりは、教会を視察に行ったとされます。
アイネアの癒しは、人生における束縛からの解放を表します。福音は、あらゆるものによって囚われている人を解放するのです。生きる力を失った者に生きる力を与えるのです。
ペトロはイエス・キリストの名によって、起き上がることができなかった者を起き上がらせたのです。ペトロはイエス・キリストが、自分たちの重荷を背負ってくださっていることを伝えたのでした。この解放の出来事が、周りの人々にも生きる力を与えていったのです。
2: タビタを生き返らせる 36-41
ペトロはタビタを生き返らせていきます。「タビタ」とはアラム語で「かもしか」という意味を持っていて、「かもしか」をギリシア語に訳すと「ドルカス」となったのです。
このタビタは、ヤッファにおいて、やもめ、つまり社会において底辺に生きている人たちのために働いていたのです。ヤッファはリダの北西18キロ程度のところにある海岸都市でした。ここにも主の福音が伝わっていたと考えられます。
タビタはやもめのために働いていました。タビタの死は、タビタの働きが消滅することを意味していました。それは、やもめたちが命の危機に陥ることを意味していたのです。
ペトロは、タビタを生き返らしたのです。このことは、社会の底辺にいる者、弱い立場にいる者、ここでは「やもめ」のためにイエス・キリストが働かれたことを教えているのです。つまり、命を支配し、守られるイエス・キリストが、タビタによる働きを守られたということです。この出来事から読み取ることができるのは、タビタを通して、イエス・キリストが弱い立場に立つ者たちの隣に立ってくださったということです。
3: ペトロの祈り40-41
ペトロは祈りのうちに、タビタを生き返らせました。ここから祈りと奇跡、祈りと命のつながりを見ることができます。「祈り」は、ルカによる福音書、そして使徒言行録において特に使われている言葉とされています。マティアの選出(1:14)、ペンテコステ(2:42)、迫害の中で(4:24-30)、サマリアで(8:22-24)、サウロの回心(9:11)
祈りには様々な働きがありますが、大きく分けると「懺悔」「感謝」「懇願」に分けられます。今日のペトロの祈りは、「懇願」「願い」になるでしょう。(祈り:ルカ18:9-14)祈りは、祈りを唱えることだけが大切なのではないのです。その祈りによって神様と繋がること、心に神様の憐れみによる命をいただくことに意味があるのです。私たちもまた、神様の御業を信じて祈り続けていきたいと思うのです。(笠井元)