1: 掟を守る人は掟によって生きる
律法とは救いを受けた者が、神様に信頼して生きていくための道しるべです。掟を守ることは、主の救いを覚え、主に従い続ける大切なことです。ここでは「掟を守る人は掟によって生きる」(5)と言います。これは掟を守ることによって救いを得るという思いに生きていることを示しています。掟を守ることによって救われるということは、とても不安定なことです。
2: キリストによる救い
救いの土台は、私たちの口、私たちの心にきてくださっている、イエス・キリストにあるのです。誰が天に上るのか。それはイエス・キリストです。誰が底なしの淵に下るのか。それもまたイエス・キリストです。イエス・キリストの十字架と復活によって成し遂げられたのです。イエス・キリストが死も命も支配されているのです。救いの道は、イエス・キリストの十字架と復活によって、すべての人間に開かれたのです。そしてそのキリストは、私たちの心に来てくださった。救いは、このイエス・キリストが来てくださっているということを土台として与えられているのです。
3: 神から与えられた救いを土台に生きる
信仰とは、イエス・キリストを信じ受け入れて、イエス・キリストを土台として生きていくということです。救いに生きることは、口でイエス・キリストを主と告白して生きていくことによるのです。口で言い表すとは、自分の生き方を告白し、実際に行動していくことです。
イエス・キリストを受け入れ、信じて生きていく者は、決して「失望することはない」のです。目の前に、どれほど苦しいことがあろうとも、主イエスが必ず共にいて、新しい命の道を開いてくださるのです。
4: 主を呼び求める
私たちは今、キリストがこの世界にお生まれになったことを待ち望む、アドベントの時を迎えています。主を待ち望むことは、ただ何もしないで待つことではありません。主を待ち望むとは主を呼び求めていくことです。積極的に、イエス・キリストの救いを求め生きていくことです。
神様は、イエス・キリストによって、私たちに救いを与えてくださいました。私たちはこの救いを求めているでしょうか。私たちは、イエス・キリストに従い、生きていくことを求めているでしょうか。まず、自分の心にイエス様を受け入れる準備をしていきましょう。(笠井元)