1: 神様の導き
コルネリウスは異邦人でしたが、ペトロによってバプテスマを受けていきます。今日の箇所の主人公は、バプテスマを受けていった異邦人コルネリウスでも、異邦人にバプテスマを授けていったペトロでもありません。今日の箇所の主人公は神様です。コルネリウスとペトロは神様によって引き合わされていくのです。
神様は、コルネリウスに【「今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。」】(5)と言われたのです。また神様はペトロには奇妙な幻を見せられたのです。神様はそのようにして異邦人の救いの道を開かれていったのです。
2: コルネリウスという存在
現代の私たちにおいてローマの百人隊長コルネリウスとは、いったい誰ということができるでしょうか。コルネリウスは百人隊長でした。百人隊長とは、ローマの軍隊の組織の中の中部隊の隊長です。つまり大きな組織の中の中くらいのところで責任を持ち、面倒を見ている、いわゆる中間管理職のような人です。つまり、組織・社会の大きな歪みの中で苦しんでいる人々を表しているのではないでしょうか。
そのうえで、異邦人コルネリウスは、ユダヤ人ペトロからすれば大きな壁で隔たれた存在でした。つまり、ペトロにとっては、その人が問題を抱えているとしてもかかわる必要のない者、共に生きる必要のない存在ということができます。
3: 造り変えられた者 ペトロ
コルネリウスは、神様からの幻によってペトロと出会い、バプテスマを受けていきます。まさに、福音の道が開かれていくのです。
その一方で、ペトロは知らず知らずの間に、築いてしまっていた壁を打ち砕かれていくのです。そのような意味では、本当に救いと、祝福を受けていったのは、造り変えられていったペトロかもしれません。
4: 備えと応答
今日の業は、神様の為されるた不思議な導きの出来事です。しかしまた、この出来事は、ただ偶然としての出来事ではないのです。ペトロとコルネリウスの二人が、それぞれにしていたことがありました。コルネリウスは【信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。】(2)ペトロは【祈るため屋上に上がった。】(9)この祈りの時に幻を受けたのです。コルネリウスとペトロが神様から幻を受けていくためには、それぞれに、備えの時があったのです。
また二人とも、幻を受けたときに、素直に幻に従っていったのです。つまり、神様の招き、導きに対して疑わずに従っていったのです。神様の出来事が起こるために、ペトロとコルネリウスの「備え」と「応答」があったのです。
私たちは神様に対する「備えと応答」によって、神様の計画を実行する者とされていくのです。この「備えと応答」によって、今一度、福音に出会わされて、新しく造り変えられていきたいと思います。そのために私たちは、主の導きに備える祈りと、主の導きに素直に応えていきたいと思います。(笠井元)