明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
2020年元旦の日の朝、目が覚める前に一つの夢を見ました。とある教会で説教をしている時に、あるお祖母ちゃんが私の説教を中断し、「劉先生、あなたは、イエスを何者だと言うのか」と厳しく質問されました。怠慢を許さない厳しい態度だったので、私は震えながら「イエス様?イエス様は、私の救い主、先生、私の友達です」と一生懸命言葉を探し当てました。
イエス様がかつてご自分の弟子に同じ質問をしました。ある日イエスが一人で祈られた後、「あなた方は、私を何者だと言うのか」と弟子たちに聞きました。それに対し、弟子たちは「あなたのことを『洗礼者ヨハネだ』と言いう人も、『エリヤだ』と言う人も、『誰か昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます」と答えました。しかし、イエスはその答えに満足せず、「あなた方はわたしを何者だと言うのか」と問い続きます。そこで、弟子ペトロが「神からのメシアです」と答えました。
メシアはヘブライ語で「油をそそがれた者」「救い主」を意味します。この信仰表明は、ペトロが自分の理解に基づいてなされた信仰告白のように見えます。しかし満点の答えを出したペトロは、信仰告白の内実をどれだけ理解し、分かっているか聞かれると、最も肝心な救いの本質を理解できていないペトロの姿が聖書にあることを認めなければなりません。すなわち、ペトロは、正しい答えを出していたのですが、イエスがどのようにして救いをもたらしてくださったか、その救いの実現のプロセスと精神をペトロは理解していなかったということです。完璧で、全てがご存知の先生、イエス様から見ると、内容理解と行動が伴わないペトロの信仰告白は中途半端に見えたかもしれません。しかし、イエスは、ペトロの信仰告白をよしとしてくださり、ご自分の救いの実現について教えられました。そして、イエス様は「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける」と約束し、彼の信仰を強め、励ましてくださいました。
私たちは、信仰も知識も足りなく、不完全なものでありながらも、私たちの存在を喜び、私たちの理解を助け、足りないものを補ってくださる神様に感謝したいと思います。「イエスはメシア、行ける神の子です」と一緒に告白して、新しい年の歩みを始めたいと思います。(劉雯竹)