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2020.1.26 「信仰の形を考える」(要約) マタイによる福音書15:1-20

1:  神様が愛されている                           

 「口先では神を敬うが、その心は神様から遠く離れている」。これがイエス様の見たファリサイ派の人々の心でした。私たちは今、神様と向き合い、つながることが出来ているのでしょうか。聖書は、まず神様が私たちとつながるために、イエス・キリストを送ってくださったことを教えます。神様の方から私たちに手を差し伸べて下さっているのです。私たちがすべきことはまず、この神様の愛を知ることです。そして、私たちは、神様が開かれた道を歩き出していきたいと思うのです。

 

2:  形式主義

 ファリサイ派の人々はイエス様に、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」(2)と尋ねます。「昔の人の言い伝え」とは、神様から頂いた律法を守るための細かい教えのことでした。ユダヤでは「手の洗い方」として洗い方から洗う水の量までも考えられていたのです。

 このような生活の隅々まで形式を整えていくということは、形式主義を生み出します。形式主義における問題は2つあります。一つは「これさえ守っていれば大丈夫」という思いに陥るということです。それは神様に従うことの恵みと喜びを失っていくということにつながります。もう一つは形式による判断基準で他者を裁いてしまうということです。

 

3:  形式の意味と目的を考える

 形式ではなく、思いを大切に生きるということは、とても難しいことです。どのような信仰にも、どのような生き方にも、何かしらの形式があるのです。バプテスト教会は形式ではなく、各教会、各個人の信仰を大切にしています。決められた教義はありません。そのようなバプテストも各個人の信仰を大切にするという形をもっているということです。あらゆる宗教、生き方、信仰において、そこには何かしらの形式があります。そしてそこにはそれなりの意味があるのです。

 信仰を持ち神様と向き合って生きるためには、「なぜ」この形式を持っているのか。この形で自分たちは何を求めているのかを考え続ける必要があります。その行為、形式の意味と目的を考えて、その時々にあわせて形もまた変化させていく必要があるのです。

 

4:  心にキリストを迎え入れる

 イエス様がペトロに「あなたがたも、まだ悟らないのか。」(16)とあるように、どれほどイエス様に近い者であっても、イエス様の言葉の意味を悟ることはできなかったのです。神様が植えられた木はイエス・キリストご自身であり、目の開かれた人もまたイエス・キリストご自身のみなのです。

 私たちが神様の前に正しくされるということは、このイエス・キリストにつながることから始まるのです。私たちはイエス・キリストを心に迎えていきましょう。私たちは、神様に愛されている。この愛を、全力をもっていただいていきましょう。(笠井元)