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2020.1.29 「神の救いを信じて祈る」 使徒言行録12:1-25

1:  ヘロデ王の行為を喜んだユダヤ人

 ヘロデは12使徒の一人、ゼベダイの子ヨハネの兄弟ヤコブを殺害したのです。しかも、この殺害をユダヤ人が喜んだため、ペトロも捕え殺害しようとしました。除酵祭、過越祭とは、神様がイスラエルの民をエジプトから救い出したことをお祝いするお祭りです。(新共同訳聖書用語説明(31)(32)参照)神様による解放を覚えるはずの時に、ペトロは囚われの身とされ、ヘロデを先頭にユダヤの民は同族の者を投獄するのです。ユダヤ人が喜んだためヘロデはペトロを殺すため捕えていきます。ユダヤ人の一人一人の思いがヘロデの思いを加速させていくのです。

 

2:  教会の熱心な祈り

 教会は熱心に祈りました。教会が起こす行動は何よりもまず祈りです。祈ることでは、目の前の何も変わらないように感じる時があります。しかし教会は何よりもまず、この祈りによって、神様に従い寄り頼んで生きる者となるのです。「教会で」ということも重要です。教会という信仰共同体として、課題を共に共有し、共に心を一つにして求めて祈りましょう。心を合わせて祈りたいと思います。

 

3:  「我に返った」ペトロ

 ペトロは2本の鎖でつながれ、二人の兵士と、牢屋を見張る番兵がいました。ここから救い出されることは何者も神様の行為を妨げることはできないことを表しています。

 囚われたペトロのところに天使がやってきます。ペトロは、この出来事は現実ではなく夢や幻だと思ったのでした。ペトロは天使が離れ去ったときに「我に返った」のです。「我に返った」という言葉は、放蕩息子が自分の間違えを認め、父のもとに帰る時にも同じ言葉が使われています。

 ペトロの解放はただ牢屋からの解放というだけではなく、ペトロ自身の心の解放でもあったのでしょう。まさに心の方向転換の出来事です。

 

4: 神の救いを見た教会

 ペトロの解放を願い、祈っていたはずの人々ですが、ペトロが解放されたことをすぐには信じることが出来なかったのです。これは、人々の心の弱さや、信仰の薄さというよりも、それほどに神様の御業が、人間の思いを超えて起こされる出来事であるということです。神様は、人間の常識において、「あるはずがない」、「そんなことはありえない」、そのような解放の出来事を起こしてくださるのです。私たちは神様による解放を期待して祈りたいと思います。

 

5:  ティルスとシドン

 フェニキアの人々は侍従ブラストに取り入って食料を手に入れようとしたのです。フェニキアの人々は、ヘロデの演説を「神の声」としてあがめたのです。

 

12章では、ペトロと教会、そしてフェニキアの人々という二つの立場の人々がいます。ペトロと教会は、権力によって抑圧される中で、心を合わせ祈り、神様に寄り頼んだのでした。それに対して、フェニキアの人々は、権力による圧力に屈して、この権力を神としたのでした。わたしたちはどちらの立場に生きていくのでしょうか。ヘロデは死に、話すことのできない者とされたのです。それに対して、神様の言葉はますます広がっていきました。(笠井元)