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2020.2.9 「主よ、どうかお助けください」(要約) マタイによる福音書15:21-28

1:  ティルスとシドンに行く

 イエス様はティルスとシドンに行かれました。ティルスとシドンは、罪ある町、汚れた町の代名詞のような場所でした。なぜイエス様はそのようなティルスとシドンに行かれたのでしょうか。いくつかの解釈が考えられていますが、一番有力な解釈としては、ティルスとシドン地方にあるユダヤの人々の集落に来たという考えです。つまりイエス様はあくまでもユダヤの人々と関わるために来られたということです。

 

2:  カナンの女 必死に救いを求める

 ユダヤの民のところにこようとしたイエス様ですが、そこに、意外な人が追いかけてきます。カナンの女です。「カナン人」とは、ただの異邦人ではなく、その中でも特にユダヤ人から軽蔑された土着の民、汚れた人間、交わりたくない人間を意味しました。

 カナンの女は救いを求め「主よ、どうかお助けください」と求めます。しかし、イエス様は「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言います。冷たい対応です。それでも女性は「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27)と言います。この言葉を受けてイエス様は、この女性の娘の病気を癒されたのでした。

 

3:  救いを求める信仰

 今日学びたいことは救いを求めるという信仰の姿です。私たちは、神様に救いを求めているでしょうか。キリスト教では「神様はすべての人間を愛されている」「無償の愛」を語ります。もちろんそれは間違いないのです。ただ、その中で、救いを求める必死さというものが欠けてしまうことがあるのではないでしょうか。私たちは、いつの間にか「自分は救われて当然だ」むしろ「自分を愛さない神様は受け入れない」となってしまうことがあるのです。

 カナン人の女性は「主よ、助けて下さい」と叫びます。私たちは、この女性のように、救いを求めていきたいと思います。神様の愛は御子イエス・キリストの命をかけた神様の恵みなのです。

 

4:  求めて、勝ち取る救い

 私たちは、神様に見捨てられたと思うときに、救いを求めていきたいと思うのです。困難の中でこそ、神様に「愛してください」「助けてください」「憐れんでください」と強く祈っていきたいと思います。求めて、求め続けて、なんとか神様の恵み愛を勝ち取るのです。「絶対、神様の恵みをいただくのだ」と決心して、神様からの愛を求めていきましょう。(笠井元)