1: ピシディア州のアンティオキアへ
地図参照(7:パウロの宣教旅行1)パウロの一行はアンティオキアに到着しました。アンティオキアは、海抜1,200mほどで英彦山、箱根山ほどの高さで、ペルゲからは160㎞ほどで福岡から人吉や延岡くらいの距離です。タウルス山脈という山脈があり険しく危険な道でした。パウロとバルナバの一行は、地理的にも厳しい道を進みました。ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰りました。
2: パウロの演説 第一部 16b-25 神の計画として来られたイエス
パウロの演説が始まります。パウロの演説は三部に分けられます。第一部は16節後半から25節までとなります。
パウロはイスラエルの歴史からダビデの子孫として来られたイエスを救い主として語ります。ここから読み取ることができるのは、神様が計画の内に、イスラエルを解放し約束の地を与え、王としてダビデを与えた。この神様の計画としてイエスをメシアとして与え、解放の業をなされた。つまり神様の計画のうちにイエスが送られたということです。
また、24節からはバプテスマのヨハネの話となります。すでに、小アジアにバプテスマのヨハネの働きが広がっていたことを示しています。
3: パウロの演説 第二部 26-37 復活 朽ち果てることのない命
第二部が26節から始まります。パウロはイエス・キリストの十字架と復活について語ります。ここでは十字架による罪の贖いというよりも、復活による救いが中心に語られます。ダビデは神様の計画の内に眠りにつき、祖先の列に加えられ、朽ち果てたとし、それに対比するように、イエスは復活して朽ち果てなかった。つまり神様によって復活されたイエス・キリストによって、朽ち果てることのない命が与えられた。それが神様の救いの出来事であると語ります。
4: パウロの演説 第三部 38-41 信じるように呼びかける
パウロは「兄弟たち」と呼びかけます。この呼びかけは、心を込めた呼びかけの言葉で、イエス・キリストの十字架と復活による罪の赦し、救いを信じることを願い求めているのです。それに加えて40節から、信じない者への警告をします。ハバクク書1:5からの引用で、信じないことによって、一つには、福音がユダヤ人から異邦人へと向けられていくと理解され、もう一つとしては、終末における裁きを意味するとされています。
また神様は「人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事」を起こされるということです。神様は復活と言う人間の理解を超えた出来事が起こされたのです。神様の御業は、私たちの思いを超えたものです。
5: 異邦人の救いへ
43節「神の恵みの下に生き続けるように勧めた」という言葉は、ここに教会を設立することを意味していたとされます。45節パウロたちの働きをユダヤ人が妬み、反対しました。パウロは、「わたしたちは異邦人の方に行く」と言います。ただ、この後も、それぞれの地でまずユダヤの会堂に入っていくのです。(14:1,17:1,10,17,18:4,19)パウロはこの後異邦人伝道へと向かいます。しかし、ユダヤ人への伝道を放棄したわけではありませんでした。むしろ、それぞれの場所において、まずユダヤの会堂に入り、ユダヤの民に説得を続けていったのでした。
48節の「定められている人」というのは、救いの限定というのではなく、「神の計画」による異邦人の救いということを強調するための言葉です。パウロとバルナバは、「足の塵を払い落し」、この地のユダヤ人との決別をし、イコニオンへと出て行ったのでした。(笠井元)