1: ファリサイ派とサドカイ派の不信仰
ファリサイ派、サドカイ派、二つのグループの人たちは、「天からのしるしを見せてほしい」とイエス様を試すのです。ファリサイ派、サドカイ派の人々は、イエス様を救い主として信じるために心から「しるし」を願い求めたのではありませんでした。心を閉じた状態の中で、イエス様を試したのです。ここにこの者たちの不信仰があります。
2: 弟子の不信仰
ここにイエス様の言葉を理解することができない弟子たちの姿があります。弟子たちは、イエス様の言葉を、自分たちがパンを持ってくるのを忘れてしまったことを指摘されているのだと勘違いしたのです。イエス様は5つのパンと2匹の魚から5,000人以上の人を満腹にさせ、パン7つと少量の魚で4,000人以上の人々を満腹にさせたのです。弟子たちは、目の前にある食べ物についての問題を見る中で、イエス様の御業を忘れてしまっていたのでしょう。
神様による恵みを頂いて喜んで歩き出しながらも、目の前に大きな問題が出てくるとすぐにその恵みの御業を忘れてしまう、これが人間の弱さです。
3: 隣にいてくださる方
イエス様は弟子たちを諭し、弟子たちは正しい理解をしていくのです。イエス様は人間の弱さの隣に立って諭してくださるのです。イエス・キリストは人間の弱さの隣にいて、信仰に導いてくださるのです。神様は、イエス・キリストの十字架の死によって、人間の不信仰、弱さをすべて受け止められてくださったのです。そして、イエス・キリストは、十字架の内に死に三日後によみがえられました。イエス様の言葉が、弟子たちを変えていきました。ここに主イエスが共にいて下さる中にあって変えられていく、新しい人間の姿があるのです。
4: 心を開いて従う
私たち人間は、完全なる者、神になることはできません。しかし、イエス・キリストの御言葉に耳を傾けていくとき、私たちは神様に目を向けて歩む者とされていくのです。大きな困難に出会う時、私たちは、右に左にと、神様から離れて、ふらふらと生きてしまう者です。しかしどこにあっても十字架のイエス・キリストが隣にいてくださり、復活のイエス・キリストが新たな道を示してくださっているのです。(笠井元)