1. ユダヤの救いに招く
「割礼を受けなければ救われない」とは、異邦人伝道を否定しているのでしょうか。「割礼」とは、神様とユダヤの民の契約のしるしです。ユダヤ人が「割礼を受けること」「モーセの律法を守ること」を求めたということは、異邦人への伝道を否定して、異邦人を切り捨てたということではなく、異邦人をユダヤの契約による救いに入れることを求めたという事になるのです。
協議の時に、私たちは相手が何を主張しているのかをきちんと聞く必要があるでしょう。ここでとても大切なことは、パウロ、バルナバがエルサレムに行き、エルサレムの教会の人々と顔と顔を合わせて協議を行ったことです。
2: 主イエスの恵みによって救われる
多くの議論が重ねられ、その後ペトロが語りだします。ペトロは異邦人コルネリウスが福音を受け、また聖霊を受けてバプテスマを受けたという出来事を体験していました。ペトロは「主イエスの恵みによって救われる」(11)と語ったのです。ペトロは、救いは神様の一方的な恵みによるものであると語るのです。
ガラテヤ書でパウロは、ペトロが割礼を受けている者たちを恐れて、異邦人と一緒に食事をしていたのに、身を引こうとしたことを非難しているのです。(ガラテヤ2:11-14)これはペトロの信仰が弱いということではなく、それほどユダヤの割礼を受けた者による圧力が強かった、それほどにユダヤの人々にとって割礼が大切なものであったということです。
ペトロは「主イエスの恵みによって救われる」(11)ことを語ります。わたしたちもこのことを何よりも一番に覚えていたいと思うのです。
3: ヤコブの言葉
ヤコブは聖書を引用して、異邦人に対する救いの御業は預言者の言葉が実現しているのだと語るのです。(アモス9:11-12)ヤコブは、ペトロの体験と、預言者の言葉、つまり聖書の御言葉に基づいて【神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。】(19)と語るのです。
ここから、教会の話し合いにおいて聖書に基づく話し合いの大切さ、またペトロの体験のように福音を宣べ伝える中で受けてきた幻や経験の大切さを教えられます。ペトロの体験は、思いを超えた神様の働きを知った体験でした。ヤコブは聖書から、どこに神様の御心があるのかを見たのです。
4: 変わらなければならない者
ヤコブは【偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように】(20)と言います。レビ記17章18章に記されていることです。
ヤコブは、異邦人でも、割礼を受けなくても律法を守らなくても、なんでもよいと言っているわけではないのです。異邦人を迎えるためにユダヤ人は考えを変えていく、同時に異邦人もまた、その交わりのために変わる必要があるのです。
私たちはただ、神様の一方的な恵み、愛によって救われたのです。そしてだからこそ、私たちは応答する者として変えられていくのです。(笠井元)