1: あなたがたは何者だと言うのか
イエス様は弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」(13)と尋ねます。人々の言葉「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」という言葉は、人間としては最高の評価をされている言葉です。イエスとは人間として偉業をなした人という理解です。これ一般的な理解です。
イエス様は弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(15)と尋ねます。イエス様は「あなたの人生、あなたの生活、その生き方において、わたしはどのような意味をもっていますか。」と問われているのです。
2: 神の導き
この時イエス様は自分自身を「人の子」と語られています。「人の子」というのは「世界の創造者であり、この世の終わりにくる審判者、救い主である」という意味を持っています。つまり、イエス様は自ら、「救い主である」と宣言していたのです。
ペトロの「あなたはメシア、神の子です」という答えは、イエス様の言葉に従い答えたという事になります。ペトロの信仰告白を導かれたのは、イエス様の自らの言葉であり神様です。私たちの信仰には、必ず神様の導きがあります。神様の導きとは神の決断によるものです。
今日から受難週となりますが、神様はこの世に自らの御子イエス・キリストを送り、その死をもって、私たちを愛することを選び取られたのです。これが神の決断です。
神様を信じる信仰とは、神様の決心された、私たちを愛する愛を信じて受け入れることです。
3: 神にへりくだる集まり 教会
ペトロの信仰告白は、神様の導きによるものです。この神様の導きこそが「岩」のように堅固で崩れることのない土台です。頑丈な岩、神の導きの上に教会が建てられるのです。
イエス・キリストはペトロのへりくだりの言葉、その姿に信仰を見たのです。そしてそのなかに生きる使命を与えられたのです。教会とは神様の前にへりくだる者の集まりです。わたしたちは、神様の導きに生きる者として、神様の前にへりくだり生きていきたいと思います。(笠井元)