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2020.4.5 「神の導きに従う」(全文) マタイによる福音書16:13-20

1:  あなたがたは何者だと言うのか                     

 イエス様は弟子たちに【「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」】(13)と尋ねます。弟子たちは【「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」】(14)と言います。この人々の言葉「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」という言葉は、人間としては最高の評価をされている言葉です。

 うちの子どもが歴史上の人物を使ったカードゲームを持っていますが、そのなかにモーセ、ソロモン、他に、始皇帝、チンギス・ハーン、コロンブスなど歴史上の様々な人物が出てくるのですが、そこにキリストというカードもありました。確か、「宗教」という部分が最高の点数だったと思います。つまり、イエスとは一人の歴史上の人間で、偉業をなした一人という理解です。現代では、イエス様をこのように理解しているのが一般的なのでしょう。イエスとは、神様の教えを説いた人、あくまでも私たちと変わらない人間であるということです。

 イエス様は弟子たちに【「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」】(15)と尋ねます。皆さんは、この問いにどのように答えることができるでしょうか。このイエス様の問いは「あなたの人生、あなたの生活、その生き方において、わたしはどのような意味をもっていますか。」という問いなのです。

 

2:  神の導き

 この時、イエス様は、自分自身を「人の子」と語られています。「人の子」というのは「世界の創造者であり、この世の終わりにくる審判者、救い主、メシア、キリスト」であるという意味を持っています。つまり、イエス様は自ら、「自分は、神の子であり、この世界の救い主である」と宣言していたのです。 トロは、このイエス様の問いに、「あなたはメシア、神の子です」と答えました。このペトロの答えは、イエス様の言葉に従い答えたという事になります。 そして、イエス様は、ペトロに【「あなたにことのことを現したのは、人間ではなくわたしの天の父なのだ」】(17)と言われます。ペトロの信仰告白。それを導かれたのは、イエス様の自らの言葉であり、天の父、神様ということです。

 私たちの信仰には、必ず神様の導きがあります。今日、金本兄が先ほど信仰告白をされましたが、この金本兄の信仰もまた、神様の導きによるものなのです。聖書では「あなたが選んだのではない。わたしがあなたを選んだ」(ヨハネ15:16)そして「聖霊によらなければ『イエスは主』であるとは言うことはできない」(Ⅰコリント12:3)と教えます。

 

 私たちの信仰が、神様の導きがあるということは、とても心強いことです。人間の決断はとてもあいまいで変わりやすいものです。今、私たちが、ここにこのようにして神様の前に立つことができているのは、主なるキリストが、私たちを選びとり、私たちを導いてくださっているからなのです。

 神様の導き、それは神の決断によるものです。今日から受難週となりますが、神様は、この世に自らの御子イエス・キリストを送り、十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)という我が子の叫びを聞きながら、心が張り裂けるほどの苦しみの中で、それでもなお、その死をもって、私たちを愛することを選び取ってくださったのです。これが神の決断です。神様は、御子イエス・キリストの命をかけて私たちを愛されたのです。

 神様を信じる信仰。それは、この神様の決心された愛を信じて受け入れることです。神様の決断に、どれだけ謙遜でいるか、どれだけへりくだり、受け取ることができるかということでしょう。

 

3:  へりくだる集団

 イエス様は18節からこのように言います。【16:18 「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」】

 ペトロの信仰告白は、神様の導きによるものです。この神様の導きこそが「岩」のように堅固で崩れることのない土台なのです。そして、頑丈な岩、神の導きの上に、教会が建てられることが、約束されるのです。教会はイエス・キリストを頭とした信仰共同体です。それは十字架と復活という、神の愛、神様の導きにへりくだり受け取っていく集団ということもできるでしょう。教会は、神の救い、神の愛に、いつもへりくだり、神の導きを土台とする必要があるのです。イエス・キリストは、このペトロのへりくだりの言葉、その姿に信仰を見たのです。そして、その神様の導きにへりくだりのなかに生きる使命を与えられたのです。教会とは神様の前にへりくだる者の集まりです。わたしたちは、神様の導きに生きる者として、神様の前にへりくだり生きていきたいと思います。(笠井元)